の側から、大勢の重々しい跫音が歩調をとりながら近づいてきた。
監房の扉がひき開けられ、二十四五の、美少年とでもいうべき、林檎のような赤い頬をした若い士官を先頭にして、一隊の兵士が入って来た。
監房の中の二十人は、二列縦隊に並ばされ、八人の兵士がその両側に附き添った。
この陰気な行列は、ところどころに水溜りのある暗道《ポテルン》を粛々と歩いて行った。先頭の美少年の士官の歩調だけが、ひどく快活で、何かしら、それが、滑稽に見えるのだった。
一同が引き出されたところは、広々とした砲台の営庭だった。正面に角面堡《ルタン》の高い壁がつづき、遠いその端に、糸杉の黒い列があった。
夜はまだすっかり明け切らず、薄い朝霧が、煙のように営庭の中に流れていた。灰白色と黒だけの風景。独逸表現派の陰気な画材に似ていた。
二十人は、角面堡の混凝土《コンクリート》の長い壁にそって、二間おきぐらいに立たされた。竜太郎は五番目だった。その右隣りにアウレスキーがいた。
宣告文はわずかに二行ぐらいですんだ。竜太郎も、他の十九人のリストリア人と同じように、反逆罪人のなかに加えられた。異存はなかった。
小太鼓《タンブール》が急《せ》き込むような調子で、打ち鳴らされた。
若い士官が、爽やかな声で叫んだ。
「狙《ね》ッ」
兵士が一斉に銃を取りあげる。レヴュウの練習のようにキチンと揃っていた。
「撃《て》ッ」
ズズン、と、下腹に響くような鋭い銃声が起り、暫くしてから、ゆっくりと銃口から白い煙が湧きだした。
最初の青年は、瞬間、背伸びするような恰好をし、それから、身体を斜にして、右の肩からのろのろと前に倒れた。
竜太郎は、その方へ顔を向けて、仔細に眺めていた。……ちょうど、ゴヤの『銃殺』の絵とそっくりだった。ただ、鳥毛のついた軍帽と赤縞のズボンのかわりに、ここでは、鉄兜と灰色の外套であるだけのちがいだった。
小太鼓の続け打ち。……遊挺のガチャガチャ動く音。……「狙ッ、撃ッ」……銃声。……それから、白い煙。……
これだけの簡単な操作を、単調に繰り返すだけだった。何か途方に暮れるような、あっ気なさだった。
竜太郎の左隣りの老人が、赤児の泣くような叫び声を上げながら崩れるように横倒れになった。竜太郎の耳には、はっきりと、おぎゃアと聞えた。
いよいよ、竜太郎の番になった。小太鼓が鳴り出した。竜太郎の身体のどこかがキュッと痙攣《しび》れる。しかし、恐怖の感じは、まるっきりなかった。
(王女万歳! と叫んでやろう。ひとつ、日本語でやるかな)
心の中で、こんな陽気なことを考えていた。
その瞬間、思いがけないひとつの想念が、隕石のように心のうえに落ちかかった。……じぶんの厭世的な感情も、自棄的な態度も、絶え間ない自殺への憧憬も、それらは、みな、じぶんの母国へのやるせない郷愁のせいであったということを! 母国!……この最後の時になって、はじめて、はっきりと、それを了解した。
(祖国!)
はるかな日本の山川のただずまいを、灼きつくような思いで、心のうえに、思い浮べた。ぼんやりと、眼が霞んできた……。
兵士が銃を取り上げた。
ずらりと並んだ黒い銃口の後に、鈍重な顔、無心な顔、快活な顔、生真面目な顔……。いろいろな顔が、そのくせ、何とも説明のつかぬ相似で貫かれながら、じっと、竜太郎を眺めていた。
(いよいよ、これで、最後か)と、心の中で、呟いて見た。しかし、何の感じも起きなかった。たとえようもなく、ほのぼのとした気持だった。竜太郎は、祖国とただひと夜の愛人に、心から訣別のことばを送った。(さよなら……、さよなら……)
突然、やや遠くで、轟くような大砲の音がし、それを追いかけるように、あちらこちらの寺院の鐘が、一斉に鳴りはじめ、無数の人の歓声が怒濤のように湧き起った。殷々たる砲声と、寺院の鐘と、人のどよめきが、入り乱れ、混り合い、空をどよもして響きわった。
十二
復興式《ルネッサンス》の荘重な前面《ファサート》を持った王宮の前庭には、それを、三方から囲うようにして、数万の人民が堵列していた。手に手に緑と藍と白のリストリアの小さな国旗を持ち、謁見式への自動車が通るたびに、一斉に喊声を浴びせかけた。
「万歳!」
「リストリア王国万歳!」
「エレアーナ王女万歳!」
高低さまざまに、微妙な階調をつくりながら、渾然たる歓喜の総量となって空に立ちのぼる。
竜太郎の乗った自動車は、熱狂した歓呼と歓声の間を、ゆるゆると王宮のほうへ進んで行った。
ちょうど、芝居の急転換のような、目まぐるしい一週間だった。
あの、息づまるような刹那に、竜太郎が聞いた、大砲と鐘とどよめきの声は、反乱軍の突然の背反《レヴォルト》と、スタンコウィッチとステファン両家の和議成立を
前へ
次へ
全25ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング