気をなくし、
「……はい、いかにも。これは、あちきが書いたものに相違ござんせんが、これが、どうしてあなたさまのお手に……」
伝兵衛は、横合いから踏み込んでいって、
「おい、浜村屋さん、これは、たしかにお前さんが書いた手紙に相違ないんだな」
路考は、首を垂れてワナワナと肩を慄わせながら、
「はい、それは、只今もうしあげました」
「おお、そうか。そういうわけなら、浜村屋、気の毒だが、一緒に番屋まで行ってもらおうか」
路考は、伝兵衛に腕を執られながら、花が崩れるように痛々しく身を揉んで、
「どうぞ、お待ち下さいまし」
哀れなようすで伝兵衛の顔を見上げながら、
「なるほど、この手紙はあちきが書きましたものに相違ござんせんけど、それは、もう、今から十年ほども前の話。あちきが若女形の巻頭にのぼり、『お染』や『無間の鐘《かね》』を勤めておりました頃の手紙……」
源内先生は驚いて、
「路考さん、それは本当か」
「なんであちきが嘘など申しましょう。お手先の方もおいでになっていられるので、その場のがれの嘘などついてみても、しょせん、益のないこと。決して、偽わりは申しません」
伝兵衛も呆気にとられて、路考の手を放し、
「今から十年も前というと、お蔦がようやく九つか十歳《とお》の頃。……先生、こりゃ妙なことになりました」
源内先生は、額をおさえて、
「こりゃ、いかんな」
一瓢は、すかさず、
「先生、そこで一句」
源内先生は、苦り切って、
「とても、それどころじゃない。ねえ、一瓢さん、あんたはどう思う。路考さんの話を疑うわけじゃないが、路考さんが十年前に書いたという古い文《ふみ》が、今朝殺されたお蔦という娘の文箱から出て来た。いくら浜村屋が酔興《すいきょう》でも、九つ十歳《とお》の娘などに色文《いろぶみ》をつけるわけはない」
一瓢は、妙な工合に唇を反らしながら、
「それゃ何ともいえねえ。浜村屋のやり方は端倪《たんげい》すべからずですからなア」
路考の方へ、ジロリと睨みをくれて、
「路考さん、あっしはいつか一度言おうと思っていたんだが、いくら立女形《たておやま》の名代《なだい》のでも、あんたのやり方は少し阿漕《あこぎ》すぎると思うんだ。薄情もいい浮気もいいが、いい加減にしておかないと、いずれ悪い目を見るぜ」
源内先生は、分けて入って、
「おい、一瓢さん、今そんなことを言い出したってしようがない。それどころじゃないんだから、憎まれ口なら後にしてもらおう」
長い顔を、路考の方へ振向けて、
「話はだいたい嚥《のみ》込んだが、十年前にさる人に、だけじゃ、どうも困る。どういう経緯《いきさつ》で、誰にやった手紙なのか、話していただくわけにはゆきませんか」
路考は、すぐ頷いて、
「大きな顔で申上げられるようなことでもありませんけど、隠していると何かご迷惑があるようですから、何も彼も包まず申上げます。……でも、ここはひとの出入りがはげしいから、むさ苦しいところですが、あちきの部屋までおいで願って……」
源内先生は、頷いて、
「あまり、手間はとらせないつもりだから、じゃ、そういうことにして……」
楽屋部屋へ通ると、路考は淑《しと》やかな手つきで煎茶をすすめながら、
「……その年の春、あちきは『さらし三番叟《さんばそう》』の所作だけで身体が暇なものでございますから、日頃ご無沙汰の分もふくめ、方々のお座敷を勤めておりました。そのうち、京都の万里小路《までのこうじ》というお公卿《くげ》のお姫さまの殺手姫《さでひめ》さまというお方にお見知りをいただき、その後二度三度、大音寺《だいおんじ》前の田川屋《たがわや》や三谷橋《さんやばし》の八百善《やおぜん》などでお目にかかっておりました。……そのころお年齢《とし》は二十八で、※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たげなとでも申しましょうか、たいへんに位のあるお顔つきで、おとりなしは極《ご》くお優しいのですが、なんとなく寄りつきにくいようなところもあって、打ちとけた話もたんとはございませんでした」
路考は、茶を一口|啜《すす》って、掌《たなごころ》の上で薄手茶碗の糸底《いとぞこ》を廻しながら、
「……そうして二、三度お逢いした後のある朝、いつも供《とも》に連れておいでになる腰元《こしもと》がまいりまして、何とも言わずに置いて行った螺鈿《らでん》の小箱。開けて見ますと、思い掛けない、つけ根から切りはなした蚕《かいこ》のようなふっくらとした白い小指が入っておりました。……この以前も、このようなものをむくつけに送りつけられたことはないでもございませんでしたが、いたずらな町家娘《まちやむすめ》とわけがちがい、向《むこう》さまは由《よし》あるお公卿さまのお姫さま。そんなご身分の方が、あちきのような未熟な者をこれほどまでにと思いますと、嬉しさかたじけなさが身に浸《し》みまして、あちきもとり逆上《のぼせ》たようになり、使いや文《ふみ》で、せっせとお誘いいたしたのですが、どうしたものか、お出《い》ではおろか、お返しの文もございませぬ。その頃、殺手姫さまは、金杉稲荷《かなすぎいなり》のある、小石川《こいしかわ》の玄性寺《げんじょうじ》わきのお屋敷に住んでいられましたが、今もうし上げたようなわけなので、あちきもたまりかね、玄性寺の塀越しになりと、ひと目お姿を見たく思い、その時差上げたのが先刻《さきほど》の手紙。……参詣《さんけい》旁々《かたがた》遠眼にお姿を拝見したいから、六ツ半ごろ、眼に立つところにお立ち出でくださるようにと書いて差上げました。……殺手姫さまのお屋敷には、玄性寺寄りに高い高殿《たかどの》がありますので、あちきのつもりでは、そこへお立ちになった姿を拝見しようと思ったのでございました」
聞けば聞くほど意外な話で、源内先生は伝兵衛と眼で頷き合ったのち、
「いや、よくわかりました。それで、その後、殺手姫さまといわれる方は……」
「……その後《のち》、ようやくお眼にかかれるようになり、その時のお話では、わちきのところへしげしげお渡りになったことがお父上さまの耳に入り、手ひどい窮命《きゅうめい》にあって、どうしても出るわけにはゆかなかったということ。その後、お父上さまが京都にお帰りになったので、また元通りにお逢い出来るようになりましたが、人目の関があって、芝居茶屋の水茶屋のというわけにはまいらなくなり、あちきの方から、日と処をきめて文を差上げ、日暮里《にっぽり》の諏訪神社《すわじんじゃ》の境内や、太田《おおた》が原の真菰《まこも》の池のそばで、はかない逢瀬《おうせ》を続けていたのでございます」
路考は、怯えるように、急に額のあたりを白くして俯向き加減に、
「……どこと、はっきり申上げるわけにはまいりませんが、打ちとけたお話をしている時にも、何かゾッとするような恐ろしい気持に襲われることがあり、以前にも申上げましたが、こちらの胸にじかに迫るような不気味なところもあって、どのようにそれを思うまいとしても、どうすることも出来ません。……いかにもお美しく、たおやかなお方ですがあまりにもお妬《ねた》みの心が強く、心変りがするようなことがあったら、お前も相手の女も決して生かしてはおかぬというようなことを、繰返し繰返し仰せられます。痴話のなんのという段ではなく、顔を蒼白ませて、呪言《のろい》のように言われるのですから、さすがのあちきも恐しくなり、従って心も冷えますから、急に瘧《おこり》が落ちたようになる。三度の文も一度になり、仮病《にせやまい》をこしらえたり旅へ出たり、何とかして遠退《とおの》く算段《さんだん》ばかり。とうとう、ふっつりと縁は切れましたが、それでも、二人が初めて出逢った一月の三日には、この十年の間、欠かさず細々と便りがございます」
源内先生は、ふう、と息をついて、
「これは[#「「これは」は底本では「 これは」]大した執念だ。……して、その殺手姫さまといわれる方は、どこにどうしていられる」
「噂に聞きますとお父上さまのお亡くなりになった後、何かたいへんにご逼迫《ひっぱく》なされ、江戸の北の草深いところに、たった一人で住んでいられるということでございます」
行きついた所
「どうだ、わかったか」
「へえ、わかりました」
「どんな工合だった。餌取は白状したか」
伝兵衛、この冬空に、額から湯気を立て、
「白状も糞もあるもんですか、いきなり取っ捕まえて否応《いやおう》なし」
「それは、近来にない出来だった」
「止しましょう。先生に褒められると、後がわりい」
「まあ、そう怯えるな。わしだって、たまには褒めることがある。方角はどっちだ」
「田端村《たばたむら》の萩寺《はぎでら》の近く。大きな欅《けやき》の樹のある、小瓦塀《こがわらべい》を廻した家で、行けばすぐわかるんだそうです」
「名前は知れなかったか」
「ご冗談。犬猫の皮を剥いで暮している浅草田圃《あさくさたんぼ》の皮剥餌取に、文字のあるやつなんぞいるものですか」
「それもそうだ。では、早速出かけようか」
「出かけるって、いったい、どこへ」
「わかっているじゃないか、その小瓦塀の家へ行く」
「あっしも、お供するんで」
先生は、例の通り、梅鉢《うめばち》の茶の三つ紋の羽織をせっかちに羽織りながら、
「当り前のことを言うな、お前が行かないでどうする」
「どうも、藪から棒で、あっしには何のことやら……」
「話は途々《みちみち》してやる。……今日は雪晴れのいい天気。まごまごしていると、また一人娘が死ぬかも知れん」
「えツ[#「えツ」はママ]、そいつアたいへんだ」
「さあ、来い」
源内先生、いつになくムキな顔で、怒り肩を前のめりにして、大巾に歩いて行く。
伝兵衛は、小走りにその後を行きながら、
「するてえと、何か、たしかなお見込みでも」
「さんざん縮尻《しくじ》ったが、今度こそ、大丈夫」
「大丈夫って、どう大丈夫」
「謎が解けた。……迂濶な話だが、大切《だいじ》のことを見逃したばっかりに、無駄骨を折った。……三日の日も八日の日も、それからまた十六日の日も、いずれも、雪晴れのいい天気だった。ところで、その次の日は、どんよりと曇った日ばかり」
「へい、そうでした」
「つまり、三人の娘は、雪晴れの天気のいい日ばかりに殺されている」
「そのくらいのことはあっしもよく知っております」
「黙って聞いていろ、まだ後があるんだ。ところでその三人の娘はみな源内先生創製するところの梁《みね》に銀の覆輪《ふくりん》をした櫛《くし》を挿《さ》している。……なあ伝兵衛、そういう櫛に日の光がクワッと当るとどういうことになると思う」
「まず、ピカリと光りますな」
「その通り、その通り」
「馬鹿にしちゃアいけません」
「馬鹿にするどころの段じゃない。そこが肝腎なところなんだ。……つまり、それが遠くからの目印になる。……なあ、伝兵衛、足跡を残さずに空から来るものは何んだ」
「鳥でしょう」
源内先生は、大袈裟《おおげさ》に手を拍《う》って、
「偉い!」
伝兵衛は、ぎょっとしたような顔で、
「するてえと……?」
源内先生は、会心のていに頷いて、
「いかにも、その通り。……わしの見込みでは、まず鷹か鷲。……しかし、鷹にはあれほどの臂力《びりょく》はあるまいから、おそらく鷲だろう」
「うへえ、鳥ぐらいのことは、あっしだって考えますが、その鳥が源内櫛にばかり飛びつくというのはどういうわけです。先生、あなたの贔屓筋《ひいきすじ》というところですか」
「下らんことを言うな。それは、そういう風に馴らしてあるからだ。……ものの本によると、中世紀といってな、西洋の戦国時代に、大鷲を戦争に使ったことがある。『戦鷲《タリーグスハビヒト》』といってな、もっぱら敵を悩ますために用いる。しからば、どういう方法を以って馴らすかといえば、敵方の兜《かぶと》やら鎧《よろい》、そういうものの上に置くのでなければ絶対に餌を喰わせん。殊《こと》に、戦争の始まる前頃になる
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