くんなさい。なるほど、そういう訳だったのか。伺って見ればご尤も。……雪の上に足跡がなかったという謎も、これでさっぱりと解けます」
と、いって有頂天になって、ひとりで恐悦している。
源内先生は、爪先をぶらぶらさせながら、かぼそい声。
「おい、伝兵衛、おれの方は、どうなるんだ。早くしてくれ、腕がちぎれる」
伝兵衛は、急に腑に落ちぬ顔になって、首をひねっていたが、
「今すぐ行きますが、その前に、もう一言。……ねえ、先生、星ってのは、夜だけのもんでしょう。それが、昼間隕ちて来るッてのはどういうわけなんです」
「この火急の場合に愚《おろか》なことを尋ねてはいかん。星は年がら年中空にあるが、日が暮れぬと、われわれの眼には見えんだけのことだ。隕ちたけりゃ、昼だって隕ちるさ。そういうわしの方も、もう間もなく落ちる。来るなら、早く来てくれ。おれは、まだ大切なことを知っているのだが、助けてくれぬうちは言わぬことにする。……ああ、落ちる落ちる。わしを殺すと玉なしになるぞ!」
上上吉若女形
源内先生は、何を探すつもりなのか、四ン這いになって浜村屋の物干台の上を這い廻っていられたが、浮かぬ顔をして立ち上ると、
「おい、伝兵衛、どうも、これは違うな」
「えッ」
「さっきの隕石説は取消しだ。……お前のやり方が憎らしいから、これだけは言わぬつもりでいたが、そもそも隕石というものは、一種独特の丸い結晶粒があって、地上の石塊《いしくれ》や鉄塊《てつくれ》と直ちに見分けることが出来るものだ。空から隕ちて、ここにいた娘の頭を創つけたものなら、その隕石の破片が必ずここに落ちているべきはずだ。ところが、いくら探しても、それが見当らん」
「ございませんか」
「ないな」
伝兵衛は、たちまちむくれ返って、
「先生、あなたもおひとが悪いですね。いくらあっしが馬鹿正直だからって、真面目な顔をしてかつぐのはひどい」
源内先生は閉口して、
「そう疑い深くっても困るな。わしは決してかついだりしたのじゃない。現に、五重塔の上で空を眺めていると、暁方《あけがた》近くになって夥《おびただ》しい流星があり、そのうちの若干《いくばく》かはたしかに地上まで達したのを見届けたのだから、三日と八日の件は、隕石の仕業だと確信しておったのだ。しかし、それは、わしの考え違いであったらしい。どうも、これは面目ないことになった」
伝兵衛は、泣き出しそうな顔になって、
「先生の面目なんぞはどうだってかまいませんが、これが見込み違いだったとなると、大形《おおぎょう》に番屋中に触れ廻った手前、あっしは引っ込みのつかないことになってしまいます。これはどうも、弱った」
「……どうも、こりゃ星のせいではなかろうと思われる。……それはそうと、伝兵衛、お前、今朝死んだお蔦というここの娘の創も、この前の二人と寸分|違《ちがい》はないといったな」
「へえ、そう申しました」
「可笑《おか》しいじゃないか。仮に、隕石だとすると、どういうわけで、そうキチンと頭の真中にばかり隕ちて来るんだ。何故《なにゆえ》に、肩や尻にも隕ちないんだ」
「なるほど、これはチト可笑しい」
「創にしてからがそうだ。お前の言うところでは、深さといい、形といい、だいたい、三つとも符節を合したようになっているという。隕石に、そんな器用な芸当が出来るものか。その場合場合によって、必ず深浅大小《しんせんだいしょう》の差異が出来るはずだ。時には、頭が砕《くだ》けたようなものもあっていいわけだろう」
「へえ」
「それから、もう一つ訝《おか》しいことがある。この前の二人は、余程の浜村屋贔屓とみえて、髪は路考髷に結い、路考茶の着物を着、帯は路考|結《むすび》にしていたそうだ。ところで、ここへ来る通りがかりに、お蔦というあの娘が寝かされているところをチラと見かけたが、これもやはり路考髷を結って、路考茶の着物を着、帯を路考結にしている。これは、いったい、どうしたというわけなんだろう。……不思議な死に方をした三人の娘が、揃いも揃って路考づくめ。すると、隕石ってやつは、だいぶと路考|贔屓《びいき》とみえるの」
「ごじょうだん」
「久米《くめ》の仙人でもあるまいし、隕石が路考贔屓の娘ばかり選んで隕ちかかるというわけはなかろうじゃないか。だから、これは、隕石などの仕業じゃない。何か、もっと他のことだ」
「すると、いったい……」
源内先生は膠《にべ》もなく、
「それは、わしにもわからん。あとは勝手にやるさ」
「ここで突っ放すのはむごい」
「突っ放すも突っ放さないも、この後は訳はないじゃないか。どっちみち、路考に引っ掛りのあることに違いない。……その方を手繰ってゆけば、かならず何とか目鼻がつく。……おまけついでに言ってやるが、わしの考えるところでは、お蔦という娘の今朝の素振りに何となく腑に落ちぬところがある。……どんな律義な娘か知らないが、正月の朝六ツ半がけ、ようやく陽が昇ったか昇らぬかといううちに起き出して、雪の積った物干台へ植木鉢を運び上げるなんてのは、何んとしても、すこし甲斐甲斐し過ぎるじゃないか。……わしには、その辺のところに、何か曰《いわ》くがあるように思われるんだが、いったい、お蔦という娘は、平常《ふだん》もそんなことをやりつけているのかどうか、その辺のところをたずねて見たか」
伝兵衛は、したり顔で、
「そこに如才はありません。……どんなに躾けがいいといったって、夜更かしが商売の茶屋稼業のことですから、六ツや五ツのと、そんな小《こ》ッ早《ぱや》く起きるはずはない。……ところが、どうしたわけか、昨夜《ゆうべ》小屋から帰って来ると、たいへんなご機嫌で、滅多にそんなこともしないのに、父親の膳のそばに坐って酌をしたりして、ひとりで浮々していたそうです。……お袋の話じゃ、そわそわ寝返りばかりうち、六ツになるかならぬうちに寝床から跳ね出して、髪を撫でつけたり、帯を締めたり。何をするかと思っているうちに、今度は、梅かなんかの植木鉢を持って物干へ出て行こうとするから、転《ころ》んで怪我でもしてはいけないと、さんざんに止めたそうですが、どうしても聴き入れない……」
「なるほど、その辺のところだと思っていた。……なあ、伝兵衛、たぶん、これは誘われたんだな。恐らく六ツ頃に物干へ上っている約束でも誰かと出来ていたのだろう。……お前は、娘の部屋を探してみたか」
「いかにも、そういうことはありそうだ。ちょっと行って掻き探して来ますから、暫くここに立っていてください」
「冗談いっちゃいかん。わしは腹が減ったからもう帰る。後は、お前が勝手にやったらよかろう」
「まるで、十八番《おはこ》だね。何か言やア、帰る帰る……」
たいして変え栄《ば》えもない顔を、生真面目につくって、
「それまで仰言るんならぶちまけますが、今度の三つの件には、先生も相当の関係があるんですぜ。気になさるといけないと思ったから、このことだけは隠していたんだが。三日と八日と、それから今日。……きてれつな死に方をした、この三人の娘たちはみな源内櫛を挿しているんです」
「それはどうも、怪しからん」
「そんなことを言ったってしようがない。これがパッと評判になって、源内櫛を挿した娘に限って殺されるなんてえことになったら、わざわざ長崎から伽羅を引き、二階の座敷を木屑だらけにして櫛を梳かせ、何とかこいつを流行らせようというので、一瓢《いっぴょう》を橋|渡《わたし》にして、吉原丁字屋《よしわらちょうじや》の雛鶴太夫《ひなづるたゆう》に挿させたまでの苦心の段が水の泡。それやこれやで、ぱったり売れなくなり、千二千と作った櫛がまるっきりフイになる。……そんなことになったら、あなただってお困りでしょう」
「そりゃ困る。そもそも、物産や究理の学問は、儒書をひねくるのとちがって、模型を作ったり、究理実験をしたり、薬品の料《しろ》だけでも並々ならぬ金がいる。そういう費用を捻出しようと思って、あんなものを売出したのだから、その方がばったりいけなくなると、従って、究理実験の途も止まるわけで、わしとしても甚だ迷惑する」
「ですから、他人《ひと》ごとみたいに言ってないで、先生も、いちばん、身をお入れにならないじゃならねえ場合だと思うんです」
源内先生は、あまり機嫌のよくない顔で、空の一方を睨んで突っ立っていられたが、だしぬけに、ひどく急《せ》き込んだ調子で、
「よし、わしも覚悟をきめた。こういう愚なことで、わしが損害を受けるのは、如何にも馬鹿馬鹿しい話だから、わしのやれるだけのことはやってみるつもりだ。伝兵衛、お蔦という娘の部屋はどこだ。わしが行って探してやる」
金唐革《きんからかわ》の文箱《ふばこ》に、大切《だいじ》そうに秘めてあった一通の手紙。
浜村屋の屋号|透《すか》しの薄葉《うすよう》に、肉の細い草書《くさが》きで、今朝《こんちょう》、参詣|旁々《かたがた》、遠眼なりともお姿を拝見いたしたく、あわれとおぼしめし、六ツ半ごろ、眼にたつところにお立ち出でくだされたく、と書いてある。
源内先生は、ジロリと伝兵衛の顔を振仰いで、
「これで引っかかりだけついたようだな。市村座は今日が初日。もちろん小屋入りをしているだろう。さア、これからすぐ乗込んで行こう。……ことによれば、ことによるぞ」
葺屋町《ふきやちょう》へ入って行くと、向うから坊主頭を光らせながらやって来たのが、浅草茅町《あさくさかやちょう》に住む一瓢《いっぴょう》という幇間《ほうかん》。源内先生の顔を見るより走り寄って来て、いきなり、両手で煽ぎ立てながら、
「いよウ、これは大先生。いやもう、大人気、大人気。堺町《さかいちょう》の小屋は割れッ返るような騒ぎでげす。手前、早速、馳せ参じて、中段を拝見してまいりましたが、まったくもって敬服尊敬《けいふくそんきょう》の至り。……
『右よ左と附廻《つけまわ》す、琥珀の塵や磁石の針』……琥珀の塵や磁石の針、はいい。大先生のような究理学者でなければ、とても出ない文句。先生のご才筆には、ただただ感涙にむせぶばかり、へえこの通りッ」
ガクリと坊主頭を下げる。
源内先生は、焦れったそうに足踏をしながら、
「それはいい、……それはいいが、一瓢さん、ちとひょんなことになった。売出しの節は色々とお骨折りをかけたが、どうも馬鹿な破目になって、弱っているところだ。大きな声じゃ言えないが、あの櫛を挿す娘は、みな妙な死方をする」
「先生、威《おど》かしちゃいけません」
「いや、本当の話。その掛合で、これから浜村屋の楽屋へ行くんだが、あなたもどうか一緒に行ってください」
一瓢は、何か思惑ありげに眼を光らせ、
「浜村屋に、何かあったんですか」
「まだ、そんなところまで行っていない。今のところは、ほんの引っ掛りだけなんだが」
「よござんす。どんなことか知らないが、あっしもお供しましょう。役者に女、と、ひと口に言うが、あの路考ッて奴ほど薄情な男はない。いよいよとなったら、あっしも少し言ってやることがあるんです」
源内が先に立って、楽屋口から頭取座の方へ行くと、瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》が、傾城《けいせい》揚巻《あげまき》の扮装《いでたち》で、頭取の横に腰を掛けて出を待っている。
五歳の時、初代路考の養子になり、浜村屋瀬川菊之丞を名乗って、宝暦《ほうれき》六年、二代目を継いで上上吉《じょうじょうきち》に進み、地芸《じげい》と所作をよくして『古今無双《ここんむそう》の艶者《やさもの》』と歌にまでうたわれ、江戸中の女子供の人気を蒐めている水の垂れるような若女形。
源内先生は、大体に於て飾りっ気のないひとだが、こんなことになると、いっそう臆面がない。
薄葉を手に持って、ズイと路考のそばへ寄って行くと、
「路考さん、突然で申訳ないが、この手紙は、あなたがお書きになったのでしょうね」
路考は、何でございましょうか、と言いながら、パッチリを塗った白い手を伸して、それを受取って、ひと目眺めると、どうしたというのか、見る眼も哀れなくらいに血の
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