となるほかはない。
源内先生は究理学者だから魔法の妖術のということは絶対に信じない。この世の万事はすべて物理に依って支配されているのであって、それを無視した超自然の事などはあり得よう筈がないが、しかし、何と言っても、不思議は不思議。歴史始まって以来、このような奇異な殺人が行われたことはまだ聞かない。
源内先生は、吐息をついて、
「いや、どうも驚き入ったことです。この世にそんなことが現実に行われようとも思われませんが、しかし、何と言っても事実は事実。わたくしにも少々考えがありますから、どうか一切の次第をお包み隠しなく仰言っていただきとうございます」
「とうてい公然《けんたい》に申されん耻《はず》かしかことですばッてん、今迄は誰にも申したことがござりませんでしたけンが、かくなる上は何事も明瞭《ささくり》と申上げまッしょう。……今から八年前のことでございました。お種が十七の時、お諏訪さまの踊子にいたしましたが、その年の九月、ちょうど夏船が二十九艘一時に着き、桜町の箔屋《はくや》が例年の通り桟敷《さじき》を造って船頭や財副《ざいふく》や客唐人《きゃくとうじん》を招いて神事踊ば見せたのでござりました。……その中に陳東海がまじッておッたのですけんが、そン節お種を見染め、手紙に添えて指輪《ゆびがね》やらビードロの笄簪《かみさし》やら金入緞子《きんいりどんす》やら南京繻子《なんきんじゅす》やら、さまざまの物ば一生懸命《せいだし》て送ってまいります。申すまでもなく唐人《あちゃ》さんと堅気《きんとう》の娘が会合《さしあ》うことは法度でござりますばッてん、お種も最初《はな》のうちは恐ろしかと思い、わたしに隠して一々送り返していたとですが、お種はちっと早熟者《はやろう》のところへ、向うは美しか唐人《あちゃ》ですけん、何時《いつ》の間にかほだされて悪戯《わるごと》ばするようになりました。間もなく船発《ふなだち》になり陳は寧波《ニンパオ》へ帰ってしまいました。お種のつもりではほんの遊びごとのつもりで、それなり忘れてしもうておったとでござりますばッてんが、陳は翌年の夏船でまたもややって来まして、お種と以前の情交《なか》になろうとさまざまに辛労する体でござりましたが、そン時はもう利七と婚約《やくそく》が出来ておりましたけんに、お種の方では見返る気もなく、素気素法《すげすっぽう》な返事をしましたので、そるけんで陳は悄々《しゅんしゅん》帰って行きました。これで断念《あきらめ》るかと思いのほか、また翌年の夏船でやって来て、ひちくどく纏いつきますけん、お種も腹を立て、云分《いいぶん》つくる気なら勝手にしなされ、あんたごたるひとはもう愛《ええら》しかとも何ンとも思っておりまッせん。もうあッちのとこへ来らッしゃんな、ときッぱりと拒絶《けんつき》いたしました。その秋にお種は利七のところへ輿入《こしい》れいたしましたが、陳はそれでも断念《あきらめ》兼ねたと見えまして、それから足掛三年|唐人屋敷《かんない》に居住《いす》んでおりましたが、さすがに気落《らくたん》して、何時の間にやら音沙汰なしに帰ってしまいました。……それからまた二年おいた一昨年《おととし》の秋、ひょッくりやって参りまして、そン節の詫言《かねごと》をさまざまにいたし、お種さんの婿殿《むこどん》が唐木《からき》の商売《あきない》をしておるというのであッたら、寧波《ニンパオ》の自分の山に仰山《ぎょうさん》唐木があるによって、欲しいだけ元価《もとね》で積出させまッしょう、と申します。利七も甚《え》ッと喜んで以来陳と友達同士のようになって暮しておりました。以前のことはわたしと陳とお種の三人の腹におさめ、生涯無かったことにすると約束をいたしました。何もかも済んだこととばっかり思うておりましたところ、思いもかけないこぎゃん酷《むご》たらしい始末になったとでござります。それにしても、お種だけならいざ知らず、科《とが》もゆかりもないお鳥まで殺《あや》めてしまうとは、何たる非道か奴でござりまッしょうか。鬼というてもこうまで残忍《むご》かことはいたしますまい」
「いや、よく解りました。それで、お種さんは一体どんな風にして殺されたのですか」
「最初に見つけましたのは古川町の火の番なのでござりますげな。通詞は江戸へ上ってい、留守居もおらぬ筈の闕所屋敷からチラチラと灯が見えますけん、悪漢《いたろう》でも入込んでいるのかと思うて調べに入りますと、お種が脊中に朱房のついた唐匕首《からあいくち》を突刺されて俯伏せに倒れております。吃驚《びっくり》して乙名《おつな》の宅へ馳付《はせつ》け、乙名からわたしどもへ知らせがありましたけん、動顛して駈付けて見ましたれば、お種はまだ虫の息で、あッちを殺したのは陳ですけんで、是非《しゃッち》、敵《かたき》ば取っておくんなしゃい、と申しました。細かしく訊ねますと、陳が江戸へ上る日、お種に申すには、あんたから貰うた手紙がわたしの居間の箪笥の中にひと括《くくり》にしてあるけん、盂蘭盆の夜の五ツ半頃、みなが焔口供《えんくぐ》の法会《ほうえ》に唐寺へ行った頃を見澄ましてそっと取りに来い、ということで、お種もかねがねそればッかり気に病んでおッたのでしたけんに、約束通り、唐人《あちゃ》がみな寺へ上った頃出かけて行って陳の居間へ入り、燭台の蝋燭に火を点して見ると、誰もいないと思った闇の中に、陳が朱房のついた匕首を振上げて物凄い顔で突ッ立っております。そるけんで、お種は仰天してバタバタと廊下まで走出したところ、陳が背後《うしろ》から追付いて無残に匕首で突刺したのだと申しました」
源内先生は、口を挟まずに聴いていたが、藤十郎が語りおわると、今迄自分の後《うしろ》に差置いてあった骨箱を藤十郎の膝の前に据え、
「さぞ、お驚きのことと思いますが、秘《ひ》し隠して置くわけにはいきません。利七さんは、大阪でこんなことになッてしまいました。月も日も刻も同じ七月の十五日の夜、庭窪の蘇州庵という破《や》れ唐館で同じように朱房の匕首で背中を後から突かれて死んでおりました」
聞くより、わッと泣き出すかと思いのほか、藤十郎は、眼を繁叩《しばたた》きながら、頷いて、
「案の定、やッぱり利七も。……江戸と長崎で二人が殺《あや》められた以上、どッち道、利七も助かる筈はないと、疾《と》ッくに覚悟を決めておりました。……これが利七でございますか。可愛いや可愛いや、何ンの罪科《つみとが》もないお前までこんな姿になってしもうた。何ンでわたしも殺さんのでッしょう。そうしたら、いっそ楽しかるべきを」
ホロホロと、膝へ涙を落した。
銀燭台の蝋燭の灯
翌日の九月の十二日は諸聖祭《トドロス・サントス》の日で、蘭人は死蘭人《しらんじん》の墓詣《はかまい》りをし、天守堂に集まって礼拝する。
十五日は阿蘭陀八朔《オランダはっさく》の日で、甲必丹《カピタン》は奉行所を訪問して賀詞《がし》を述べ、それから代官、町年寄などの家を廻って歩く。蘭館では饗宴の席を設け、奉行並に奉行所役人、通詞《つうじ》出島乙名《でじまおつな》、その他友人、蘭館出入りの者を招いて盛な酒宴を催してこの日を祝う。
甲必丹《カピタン》もヘトル役も外科医も、皆、江戸で懇意にしておったので源内先生も招かれてその祝宴に連ることになった。
先年いろいろ世話になった大通詞の吉雄幸左衛門《よしおこうざえもん》や通詞の西善三郎なども招かれて来ていて、参府の折の本草会の話なども出たが、先生の胸中には悲哀の情と佶屈《きっくつ》の思いがあるので、どうしても気が浮立たない。
そのうちに食卓開始の合図の鐘が鳴って、一同の後につづいて食堂に入ると、食卓《ターブル》の上には銀の肉刺《ハーカ》や匙《レーブル》が美しく置かれ、花を盛った瓶をところどころに配置し、麺麭《ブロート》を入れた籠《かご》や牛酪容《ホートルいれ》などが据えられてある。
最初に鼈《すっぽん》の肉羹《スープ》が出、つづいて牛脇腹《うしわきはら》の油揚《コツレツ》、野鴨全焼《ローチ》という工合に次から次に珍味|佳肴《かこう》が運び出される。阿蘭陀《オランダ》料理は源内先生の最も好むところで、このような珍味を食い葡萄酒を飲みながら植物学者ヤコブスの如き高足《こうそく》と談笑することは、この世での最上の愉快とするのだが、思うまいとしても蘇州庵の竹倚《チョイ》で殺されていた利七の無残な姿やお鳥の哀れな死顔、また藤十郎の悲歎に窶《やつ》れたようすなどがチラチラと眼に泛び、何を喰べても何を飲んでも一向に味がわからない。気がついて見ると何時の間には肉刺《ハーカ》を置いて我ともなく愁然と腕組をしている。
隣の吉雄幸左衛門《よしおこうざえもん》が見兼ねたものか、どうなすった、だいぶお顔の色が悪いようだが、と囁いたが、それにもちょっと頭を動かして頷いたばかり、返事をする気にもなれない。
源内先生は、じぶんが目睹《もくと》したところと藤十郎から聴いた事実をあれこれと照し合せ比べ合せ、頭の中でしきりに結んだり解いたりしていたが、そのうちに、冬の夜明けのような極く漠然とした希望の光が頭の中へ射込《さしこ》んで来た。
源内先生は、思わず膝を叩いて、
「〆《しめ》たッ、これでどうやらようすが判って来た」
と、頓狂な声で叫び立てると、急に談笑を止めてびッくりしたような顔で、こちらを眺めている一同に会釈しながら、
「甚だご無礼ですが、実以《じつもっ》て拠《よ》んどころない急用を思い出しましたから、中座をさせていただきます。その代り、このお詫びとして、後日ある場所へご案内いたし、不思議なものをごらんに入れて各位の心魂をお驚かせ申すつもりでございます。……それにつきまして甚だ申訳がありませんが、提灯がありましたら借用ねがいたい」
と言って、提灯を借受けると、スタコラと出島の蘭館を出て行った。
福介は、先生が余り物事に凝り過ぎて、とうとう気が狂《ふ》れてしまったのだと思った。昼は芭蕉扇を腹の上にのっけて夕方まで眠りつづけ、とッぷりと日が暮れると、蝋燭やら物差やら縄梯子やら、何に使うのか得体の知れぬ雑多なものをひと抱えにして長崎屋を飛出して行き、夜がほのぼのと明けるころ、着物に鈎裂を拵《こしら》え身体中蜘蛛の巣だらけになってがッかりと憊《つか》れて帰って来る。
こんなことが五日程つづいた後の朝、何時になく大元気大満悦の体で帰って来て、
「福介や、とうとう鬼唐人《きとうじん》のからくりを看破《みやぶ》ってくれた。ひとを馬鹿にしやがッて、実にどうも飛んでもない野郎だ。こういう風にぎゅッと尻尾を押えた以上は、いくらジタバタしたってもう逃しっこはない。伝馬町の獄門台へ豚尾《とんび》のついた梟首《さらしくび》を押載《おしの》せてやるから待っておれ……何を魂消《たまげ》たような顔でおれの面を見ている。今夜はお前にも面白いものを見せてやるから、今のうちに昼寝でもしておいたらよかろう」
そう言って、机に向って忙しそうに短い手紙を幾つも書き出した。
長崎奉行宛に一通、与力同心衆一同として一通、甲必丹《カピタン》オルフェルト・エリアス殿並に館員御一同として一通、吉雄幸左衛門宛に一通、西善三郎へ一通、手早く認《したた》めて使者《つかい》に持たせて出してやり、朝食をおわると下帯一つになって芭蕉扇で胸のあたりを煽ぎながらぐっすりと寝込んでしまった。
とっぷりと日が暮れてから悠々と起出して衣服を替え、藤十郎と福介を連れて長崎屋を出る。
福介は心配して、
「先生、これからどちらへ」
先生は、煩《うるさ》そうに首を振って、
「煩くいうな、来て見りゃアわかるさ」
と、膠《にべ》もない。
行着いたところが古川町の闕所屋敷、唐通詞陳東海の宅だった。
まるで自分の家ででもあるように横柄な顔で玄関からズカズカと奥へ罷《まか》り通る。
そこは陳東海の居間と覚《おぼ》しく、三十畳程の広々とした部屋で、床には油団《ゆとん》を敷詰め、壁には扁額《へんがく》や聯を掛け、一
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