逃《よにげ》をする途中だと思うかも知れない。
源内先生は高端折《たかはしょ》り。紺の絹パッチをニュッと二本突ン出し、笠は着ず、手拭を米屋《こめや》かぶりにして、余り利口には見えないトホンとした顔で四辺《あたり》の景色を眺めながらノソノソと歩いて行かれる。雨でも降ったらどうするつもりだろう、それが心配である。
尤も、先生一人ではない。僕《しもべ》を伴に連れている。
先生は世話好きとでもいうのか、親に棄てられた寄辺《よるべ》のない子供や、身寄のない気の毒な老人を、眼につき次第誰彼かまわず世話をする。福介《ふくすけ》もその一人で、今から五年前、出羽の秋田から江戸へ出て来て、倚《かか》るつもりの忰や娘に先立たれ、知らぬ他国で如何《どう》しようもなくなって、下谷《したや》の御門前《ごもんぜん》で行倒れになりかけているのを気の毒に思って連れ帰って下僕《しもべ》にした。この世の実直を一人占めしたような老僕の福介。こちらは足拵《あしごしらえ》もまめまめしく、大きな荷を振分にして、如何にも晴れがましそうに、また愉しげにイソイソと先生の後《うしろ》に引添って来る。
竹藪続きの山科《やましな》街道。
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