で蔽い隠すようにしながら、
「お見受けするところ、何か非常なご不幸でもあッたようす。お支障《さしつかえ》なければ、どうかこの源内に……」
 藤十郎は、片手で涙を抑えながら、
「はいはい、申上ぎょうですが、こぎゃんとこではお話も出来ませんけん、さあ、どうかあッちへ……」
 福介を土間の床几《ばんこ》に残して、見世庭《みせにわ》から中戸《なかど》を通って奥座敷へ導かれてゆく。
 檐《のき》には尾垂《おだれ》と竹の雨樋が取付けてあり、広い庭に巴旦杏《はたんきょう》やジャボン、仏手柑《ぶしゅかん》などの異木が植えられ、袖垣《そでがき》の傍には茉莉花《まつりか》や薔薇花《いけのはな》などが見事な花を咲かせている。
 座に着くと、藤十郎は膝の上へ顔を俯向けながら、
「わたしのような、こぎゃん不幸者は唐《から》天竺《てんじく》まで捜したッてまたとあろうたア思われまッせん。同じ日の同じ刻に江戸と長崎で姉娘と妹娘が唐人《あちゃ》めらの手にかかって殺《あや》められるなンて、そぎゃんことが、この世にあり得ることでッしょうか」
 源内先生は、ひえッと息を引いて、
「まあ、ちょッとお待ちください。いま伺っていますと江戸と長崎で同じ日の同じころに姉娘と妹娘が、と仰言いましたが、すると、何んですか、お種さんの方にも何か間違いが……」
 藤十郎は、頷いて、
「そン通りでございます。姉娘のお種も同じ七月十五日の盂蘭盆《うらぼん》の夜、古川町|闕所《けっしょ》屋敷で唐通詞の陳東海に匕首で脊骨の下を突ッぽがされて死んでしまいました」
 先生は思わず膝を乗出して、
「それは、ほ、ほんとうのことですか」
「わたしが何ンの虚言《そらごと》を言いまッしょうか。本当《しょう》のことでござります」
「陳東海が殺したと誰が言いました」
「お種がじぶんの口から申しました」
「煩《くど》いようですが、確かに、陳東海だと言いましたか」
「そン通りでございます」
「それを聞いたのは誰でしたか」
「このわたしでござります」
 同じ七月の十五日、江戸と大阪と長崎で三人の男女が同じ人間に同じ方法で殺害された。
 庭窪の蘇州庵で無残な利七の死に態《ざま》を見たとき、何等かの方法でやれぬこともないと思い、また、ひょッとしたら陳東海の双生児《ふたご》の兄弟が諜合《しめしあわ》せてやったことかとも考えていたが、ここに到っては源内先生も唖然となるほかはない。
 源内先生は究理学者だから魔法の妖術のということは絶対に信じない。この世の万事はすべて物理に依って支配されているのであって、それを無視した超自然の事などはあり得よう筈がないが、しかし、何と言っても、不思議は不思議。歴史始まって以来、このような奇異な殺人が行われたことはまだ聞かない。
 源内先生は、吐息をついて、
「いや、どうも驚き入ったことです。この世にそんなことが現実に行われようとも思われませんが、しかし、何と言っても事実は事実。わたくしにも少々考えがありますから、どうか一切の次第をお包み隠しなく仰言っていただきとうございます」
「とうてい公然《けんたい》に申されん耻《はず》かしかことですばッてん、今迄は誰にも申したことがござりませんでしたけンが、かくなる上は何事も明瞭《ささくり》と申上げまッしょう。……今から八年前のことでございました。お種が十七の時、お諏訪さまの踊子にいたしましたが、その年の九月、ちょうど夏船が二十九艘一時に着き、桜町の箔屋《はくや》が例年の通り桟敷《さじき》を造って船頭や財副《ざいふく》や客唐人《きゃくとうじん》を招いて神事踊ば見せたのでござりました。……その中に陳東海がまじッておッたのですけんが、そン節お種を見染め、手紙に添えて指輪《ゆびがね》やらビードロの笄簪《かみさし》やら金入緞子《きんいりどんす》やら南京繻子《なんきんじゅす》やら、さまざまの物ば一生懸命《せいだし》て送ってまいります。申すまでもなく唐人《あちゃ》さんと堅気《きんとう》の娘が会合《さしあ》うことは法度でござりますばッてん、お種も最初《はな》のうちは恐ろしかと思い、わたしに隠して一々送り返していたとですが、お種はちっと早熟者《はやろう》のところへ、向うは美しか唐人《あちゃ》ですけん、何時《いつ》の間にかほだされて悪戯《わるごと》ばするようになりました。間もなく船発《ふなだち》になり陳は寧波《ニンパオ》へ帰ってしまいました。お種のつもりではほんの遊びごとのつもりで、それなり忘れてしもうておったとでござりますばッてんが、陳は翌年の夏船でまたもややって来まして、お種と以前の情交《なか》になろうとさまざまに辛労する体でござりましたが、そン時はもう利七と婚約《やくそく》が出来ておりましたけんに、お種の方では見返る気もなく、素気素法《すげすっぽう》な返事をしました
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