大輪の牡丹《ぼたん》の花ほどに濡れ、そこから血が赤く糸をひく。
「血だ、血だ」
「象が血を流している」
 ワッ、と総立ちになる。これで、騒ぎが大きくなった。


          龕燈《がんどう》の光で見た景

 木挺役《きちょうやく》が飛んでくる。曳物の先達《せんだつ》が飛んでくる。鳶がくる。麻上下《あさがみしも》がくる。
 何しろ、お曲輪《くるわ》も近い。年一度の天下祭が不浄の血で穢《けが》れたとあっては、まことに以て恐れ多い。なかんずく、年番御役一統の恐悚《きょうしょう》ぶりときたらなんと譬えようもない。
 象は、あわてて麹町一丁目の詰番所|傍《わき》の空地《あきち》へ引込んで葭簀《よしず》で囲ってしまい、ご通路の白砂を敷きかえるやら、禊祓《みそぎはら》いをするやら、てんやわんや。
 さいわい片側だけの見物で、象の血を見た人数《にんず》もあまりたんとではない。さまざまに世話役が骨を折り、舁役《かきやく》が怪我をしたのだと誤魔化《ごまか》してようやくおさまりをつけてホッと胸を撫でおろす。あれやこれやで小半刻《こはんとき》。行列がようやくまた動き出す。
 渡御《とぎょ》、お練《ねり
前へ 次へ
全41ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング