大輪の牡丹《ぼたん》の花ほどに濡れ、そこから血が赤く糸をひく。
「血だ、血だ」
「象が血を流している」
ワッ、と総立ちになる。これで、騒ぎが大きくなった。
龕燈《がんどう》の光で見た景
木挺役《きちょうやく》が飛んでくる。曳物の先達《せんだつ》が飛んでくる。鳶がくる。麻上下《あさがみしも》がくる。
何しろ、お曲輪《くるわ》も近い。年一度の天下祭が不浄の血で穢《けが》れたとあっては、まことに以て恐れ多い。なかんずく、年番御役一統の恐悚《きょうしょう》ぶりときたらなんと譬えようもない。
象は、あわてて麹町一丁目の詰番所|傍《わき》の空地《あきち》へ引込んで葭簀《よしず》で囲ってしまい、ご通路の白砂を敷きかえるやら、禊祓《みそぎはら》いをするやら、てんやわんや。
さいわい片側だけの見物で、象の血を見た人数《にんず》もあまりたんとではない。さまざまに世話役が骨を折り、舁役《かきやく》が怪我をしたのだと誤魔化《ごまか》してようやくおさまりをつけてホッと胸を撫でおろす。あれやこれやで小半刻《こはんとき》。行列がようやくまた動き出す。
渡御《とぎょ》、お練《ねり
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