渡来の行列を先に立て、ヒラリヤドンチャン/\と賑かに近づいてくる。
「そら、象が来た」
「象だ、象だ」
 町並は、ワーッという大騒ぎ。
 桜田御門の前から黒田さまの屋敷を南へ、祭礼の番付板のある前をのぼって、山王神社の前を右へ。そこから永田町の梨の木坂。
 ここまでは、何のこともなかった。ちょうど、梨の木坂を降りきって、これから濠端《ほりばた》へかかろうとするとき、糸瓜仕立胡粉塗《へちまじたてごふんぬり》の象が、胸からホトホトと血を流しはじめた。
 片側は水に伏す芝塘《しとう》の松。片側は、松平さまの海鼠《なまこ》壁。
 一間幅に敷いた白砂の上へ、雪の日に南天の実でもこぼれるように、紅絵具《べにえのぐ》のような美しい血が点々と滴り落ちる。
 真先にこれを見附けたのが、すぐ近くの麹町一丁目に住む近江屋《おうみや》という木綿問屋の忰で、今年、九つになる松太郎。
 子供の眼は敏《さと》く、遠慮がないから、精一杯の声で、
「やア、象の腹から血が流れてらア」
 その声で、まわりの桟敷に鮨詰《すしづ》めになっているのが一斉にそのほうを見る。
 どうしたというのだろう、作物《つくりもの》の象の胸先が
前へ 次へ
全41ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング