む》り。片袖で顔を蔽って象のそばから走り出そうとすると、人気《ひとけ》のないはずの松の根方《ねかた》から矢庭《やにわ》に駈け出した一人。
「野郎ッ!」
 間をおかずに、今度は葭簀の裏からまた一人。
「美濃清、御用だ」
 件《くだん》の男は、げッ、と息をひいて、つんのめるように闇雲《やみくも》に駈け出した。と見るうちに、もやい合った夏草に足を取られて俯伏せにどッと倒れた。
 同体になって一人は肩、一人は足。グイッと押えつけておいて、
「じたばたするねえ、ももんがあ奴《め》」
「足掻《あが》きやがるな、経師屋《きょうじや》」
 男は、歯軋《はぎし》りをして、
「畜生ッ、桝落《ますおと》しにかけやがったか」
 ちえッ、と舌を鳴らすのを引起して顔を見ると、美濃屋清吉。……
 肩を押えたのは、北番所《きた》の土州屋伝兵衛。足を掴んだのは、南番所《みなみ》の戸田重右衛門《とだじゅうえもん》だった。
 薪割りから水汲みと、越後から来た飯炊男《めしたきおとこ》のように実を運んでも、笹の雪、撓《しな》うと見せて肝腎なところへくるとポンと撥《は》ねかえす。美濃清も愚痴な男ではないのだが、もう抜きも差しもな
前へ 次へ
全41ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング