けるように拵えておいたんです」
「いったい、何のためにそんな子供染みた真似をしたのだ」
「象の胎内潜りをしてひとを驚かせようなんてえのじゃない。そんな茶気《ちゃき》のある親爺じゃないんです。元文《げんぶん》以来の御改鋳《ごかいちゅう》でいずれ金の品位が高くなると見越したもんだから、田舎を廻って天正一分判金《てんしょういちぶはんきん》や足利時代の蛭藻金《ひるもきん》、甲州山下一分判金などを買い集め、月並みの金調べの眼が届かないように、そいつをそっと象の胎内にしまい込んでおいたんです。つまり、これで何年後かに大思惑をする肚……」
「ありそうなことだな」
「土蔵一つ造ると思えば、千両は安いもの。祭礼の象の曳物《ひきもの》の腹の中に万という小判が隠してあるとは誰も気がつかない。左前になりかかって家の中は火の車なんてえのは真赤な嘘。……定太郎と織元の娘を縁組みさせ、結納の三千両で息を吹きかえしたと見せ、たくし込んでおいた古金《こきん》でそろそろ思惑をはじめようというのが実情なんです。……ところが、象の右の後脚のからくり[#「からくり」に傍点]を知っているのは四人の中では定太郎だけ。これは申上げるまでもない。……そもそも、里春を象の腹の中へ入れご上覧《じょうらん》の節、象の腹の中で小唄をうたわせて、アッといわせてやろうなんてえ発議したのは定太郎なんだから、こりゃアどうも抜き差しがなりません」
「くどい男もあればあるもの。何のためにそんな手の籠んだ真似をしたのだ」
「言うまでもないこってしょう。もう間もなく縁組みをしようというのに、里春の纏《まと》いつきが欝陶しくてたまらない。どんなことがあっても、じぶんに疑いがかからないような方法で……、まかり間違ったら、美濃清に全部ひっかかるように充分練りに練って仕組んだことなんです」
「わかったようなわからないような変なぐあいだな。そんなことで、じぶんに疑いをかけられずにすませられるだろうか」
「だって、そうだろうじゃありませんか。あの沢山の人眼《ひとめ》の中を練りながら、その腹の中の人間を殺せようとは誰も考えつかない。行燈下の手暗がり。そこを狙ってやったことなんです。昨日の白々《しらじら》明け、背中へ穴をあけて象の中へ里春を下し込むとき、定太郎は、じぶんだけわざとその場にいなかった」
「いよいよ以てわからなくなった。……里春を象の中へ入れるとき、その場に定太郎がいなかったとすれば、里春を殺したのは、定太郎ではないわけだ」
「こりゃア驚いた、先生もずいぶんわからない。今も言ったように、四人の中で、定太郎だけが脚から象の胎内へはいって行けるんですぜ」
「入って行けないとは言わないが、象を担ぎながらひとは殺せない。それに、菘庵が里春が二刻前に死んでると言った事実だけは、どうしたって動かすことが出来ないのだ。俺は、かならずしも定太郎が殺したのではないと言わないが、里春が殺されたのは、何といったって練出す前だったことだけはまぎれもない」
「すると、血の方はいったいどうなります。……どうしたって永田馬場を曳出す前に沁《し》み出していなければならないはずでしょう」
「何でもないようだが、そこに、この事件のアヤがある。……はてな」
 源内先生は、腕組をして、ひどくムキな顔をして考え込んでいたが、間もなく、ポンと横手を拍《う》って、
「伝兵衛、わかった! 里春を殺したのは、定太郎でもなければ、担呉服でもない。いわんや、植亀などではない。こりゃアやっぱり美濃清の仕業だ」
「そ、そりゃ、いったい、どういうわけです」
「おい伝兵衛、そもそもどういう理由によって象が胸から血を滴《た》らした。……里春は象の腹の窪みの中で死んでいたというから、血が滲み出すなら胸からなどではなく腹から滴《したた》るはずだ。このわけが、お前にわかるか」
 伝兵衛は、面喰って、
「どうも、だしぬけで、あっしには、何のことやら……」
「なぜ腹から血が滴れないかと言えば、外へ血が滲み出さないように、あらかじめちゃんと支度がしてあったからだ。わしの考えでは、ちょうど血の溜りそうな象の腹の内側を桐油張《とうゆば》りかなにかにして置いたのだと思われる。……ところが、美濃清は、象が梨の木坂を降りることをうっかり計算に入れなかった。……天網恢々《てんもうかいかい》、象が梨の木坂を降りた拍子に腹に溜っていた血がみな胸のほうへ寄ってゆき、計らざりき、思いもかけない手薄なところから滲み出してしまったというわけだ。上手《じょうず》の手から洩れるというのはこの辺のことを言うのだろう。これから推すと、美濃清は、やはり象の後の脚のからくり[#「からくり」に傍点]を知っていたんだな。……言うまでもない、こりゃア、恋の怨みで定太郎を突き落すための仕業なのさ」
「すると、美濃清は、い
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