へ人間が一人ずつ入って肩担《かたにな》いに担ってゆく。
象の前には、道袍《トウパウ》に三角の毛帽をかぶった朝鮮人の行列が二列になって二十四人。
「糀街《こうじまち》」と唐文字《からもじ》を刺繍《ぬいとり》した唐幡《とうばん》と青龍幡《せいりゅうばん》を先にたて、胡弓《こきゅう》、蛇皮線《じゃびせん》、杖鼓《じょうこ》、磬《けい》、チャルメラ、鉄鼓《てっこ》と、無闇《むやみ》に吹きたて叩きたて、耳も劈《つんざ》けるような異様な音でけたたましく囃してゆく。
さて、事件は、こんなふうに始まった。
一番から四十六番までの山車、最後の四十六番は、常盤町《ときわちょう》の僧正坊|牛若《うしわか》人形。
すぐ後が、御神輿。
各町から一人ずつ五十人の舁人《かきと》。白の浜縮緬に大きく源氏車を染め出した揃いの浴衣。玉襷《たまだすき》に白足袋《しろたび》、向う鉢巻。
「御神輿だ、御神輿だ」
「山王様でい」
威勢よく、ワッショイワッショイと揉んでくる。
その後へ小旗、大旗、長柄槍《ながえのやり》、飾鉾《かざりぼこ》が三本。神馬《しんば》が三匹。それから、いよいよ象の曳物。いま言ったように朝鮮人渡来の行列を先に立て、ヒラリヤドンチャン/\と賑かに近づいてくる。
「そら、象が来た」
「象だ、象だ」
町並は、ワーッという大騒ぎ。
桜田御門の前から黒田さまの屋敷を南へ、祭礼の番付板のある前をのぼって、山王神社の前を右へ。そこから永田町の梨の木坂。
ここまでは、何のこともなかった。ちょうど、梨の木坂を降りきって、これから濠端《ほりばた》へかかろうとするとき、糸瓜仕立胡粉塗《へちまじたてごふんぬり》の象が、胸からホトホトと血を流しはじめた。
片側は水に伏す芝塘《しとう》の松。片側は、松平さまの海鼠《なまこ》壁。
一間幅に敷いた白砂の上へ、雪の日に南天の実でもこぼれるように、紅絵具《べにえのぐ》のような美しい血が点々と滴り落ちる。
真先にこれを見附けたのが、すぐ近くの麹町一丁目に住む近江屋《おうみや》という木綿問屋の忰で、今年、九つになる松太郎。
子供の眼は敏《さと》く、遠慮がないから、精一杯の声で、
「やア、象の腹から血が流れてらア」
その声で、まわりの桟敷に鮨詰《すしづ》めになっているのが一斉にそのほうを見る。
どうしたというのだろう、作物《つくりもの》の象の胸先が
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