けないような気がして、大池のそばへ行った。
「大池さん、あたしです。どうなすったの」
大池は嗄れたような声でささやいた。
「ジガレンの注射を……」
大池は心臓発作をおこしかけている。
どんな嫌疑を受けても、犯した罪がなければ、いつかは解けると多寡を括っていたが、この二日、警察とのやりあいで、そうばかりはいかないらしいことをさとった。一人だけでいるところで死なれでもしたら、どんなことになるかわかったものではない。
「ともかく、長椅子に行きましょう」
大池を長椅子のところへ連れて行くと、上着を脱がせ、クッションを集めて座位のかたちで落着かせた。洗面器に井戸水を汲んできてせっせと胸を冷やしたが、こんなことでは助かりそうもなかった。
「応急薬といったようなものはないんですか、あるなら探して来るけど」
大池は食器棚を指さした。
「……ジギタミンと、赤酒を……」
食器棚の曳出しにはそれらしいものはなかったので、浴室へ行って、壁に嵌め込んだ鏡付のキャビネットの中を見た……「ジギタミン」というレッテルを粘った錠剤の瓶がガラスの棚の上に載っていた。日本薬局方の赤酒は、赤い封蝋をつけてウイスキ
前へ
次へ
全106ページ中86ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング