行くことになったわ」
「バンガローといっても、ぼくの三角兵舎みたいなもので……荒れていますから、お気持が悪いでしょうが、湖畔のいちばん綺麗なのを掃除しておきました」
「あてなしに、フラリと出てきたもんで、飯盒も食器も持っていないんだけど、食事、どうしたらいいのかしら」
「ご食事はバンガローへお運びします」
「それは、たいへんよ……あなた、錨繩を曳く仕事があるんでしょう。飯盒を貸してくだされば、じぶんでやります」
「夜は、仕事がないのですから、お気づかいなく」
 風が出て空が晴れ、雲の裂目から茜色の夕陽が湖水の南の山々にさしかけた。
 樹牆のように密々と立ちならぶ湖畔の雑木林の梢の上に、ロッジの屋根の一部と赤煉瓦の煙突が、一種、寂然たるようすであらわれだしている。植物のつづきのようで、家があるようには見えず、なにか異様な感じだった。
「石倉さん、あのロッジはどうした家なのかしら。あんなところにポツンと一軒だけ建てたというのは……別荘というにしては、すこし淋しすぎるようね」
「あれはリットンというイギリス人の持家で、冬になると、そこらじゅうの西洋人が駕籠に乗ってやってきて、広間で夜明しのバ
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