それゃ、もうどうしたって、ね……なにか失礼なことをいっていますが、間もなく、落着くでしょう……あなたも気ぶっせいでしょうし、今夜はキャンプ村のバンガローで泊られたらどうですか。川奈ホテルでは遠すぎて、警察の連中が承知しないでしょうから」
 そういうと、うなずくように軽く頭をさげて部屋から出て行った。
「ここから出られるなら、お礼をいいたいくらいだわ」
 久美子は苦笑しながら呟いたが、いいぐあいにひきずりまわされているような、不安に似た感じからまぬかれることができなかった。

 湖水に沿った道のほうでクラクションの音がした。
 二時間ほど前、久美子が私服に附添われて湖畔へ出たとき、部長刑事から命令されて伊東のほうへ車を飛ばして行った連絡係の警官が帰ってきた。芝生の縁石《へりいし》のところで車をとめ、チラと二階の窓を見あげると、汗を拭きながらせかせかと玄関に入っていくのが見えた。またむずかしいことがはじまりそうな予感があった。
 灰鼠《はいねず》の筋隈《すじぐま》をつけた雨雲の下で、朝、見たときのまま、ボートや田舟が、さ迷う影のように、あてどもなく動きまわっている。大池というスポーティな紳
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