だが、このようすでは、どうも今夜はむずかしいらしい。自分をこの世から消しとるという単純な仕事が、どうしてこんなにもむずかしいのかと思うと、気落ちがして、白々とした気持になった。
 ボートの艫に小型のモーターをつけた旧式な機外船が、けたたましいエンジンの音をひびかせながらロッジのほうへ走ってくる。黒々と陽に灼けたさっきの管理人が乗っているのが見えた。
「そろそろ、はじまった……」
 大池のピジャマとガウンを借り着した、しどけないふうな女を、管理人がどんな眼で見て行ったか、久美子にも察しがつく。
「それはまあ、どうしたって」
 苦笑いしながら久美子は呟いた。
 どうしたって父娘《おやこ》だとは見てくれまい。大池の生活に密着した、抜きさしのならない関係にある女だと、解釈したこったろうから、ここへ話をもちこんでくるのは当然だ。
 長すぎるピジャマのズボンとガウンの裾を、いっしょくたにたくしあげながら二階から降りると、久美子は玄関に出て管理人がやってくるのを待っていた。
 いい話だろうと、悪い話だろうとかまうことはない。うるさい絆から解き離されるためにも、どうせ聞かなければならないのなら、一分で
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