んでおいて、このボートで湖心へ漕ぎだす。ひきこまれるような睡気《ねむけ》がつき、まわりの風景がよろめいてきたところで、そろりと水の中に落ちこむ。たぶん飛沫も立たないだろう。かすかな水音。それで事は終る。
広間の中はまだ闇だが、どこかに灰白い夜明けのけはいがあった。
久美子はベッドにしていた長椅子から起きあがると、風呂場へ行ってジャンパーに着換え、音のしないように玄関の扉をあけてロッジを出た。
湖に朝靄がたち、はてしないほど広々としていた。久美子は棒杭のある地形をおぼえておいたつもりだったが、靄の中では、どこもおなじような岸に見え、なかなかその場所に行きつけなかった。
「急がないと、夜が明ける」
久美子は焦り気味になって、菱の生えているところをさまよっているうちに、朽木の根っ子につまずいて、深いところへ落ちこんだ。いやというほど水を飲み、化けそこなった水の精のように、髪から滴《しずく》をたらしながら岸に這いあがると、気ぬけがして、ひと時、茫然と草の中に坐っていた。
「おお、いやだ」
いかにもぶざまで、情けなくて泣きたくなる。間もなく棒杭に行きあたったが、誰か早く漕ぎだしたのだ
前へ
次へ
全106ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング