とみえて、ボートはそこになかった。
ロッジへ帰ってピジャマに着換え、濡れものをひとまとめにして浴槽の中へ置き、気のない顔でコオフィを沸しにかかった。
陽があがると靄がはれ、すがすがしい朝になった。湖のむこうの山々の頂が、朝日を受けて火を噴いているように見えた。
久美子はひとりで朝食をすませ、所在なく広間で大池を待っていたが、八時近くになっても起きて来ない。
「どうしたんだろう」
気あたりがする。中二階へあがって行って、ドアをノックした。
「大池さん、まだ、おやすみになっていらっしゃるの」
返事がない。
鍵が鍵穴にさしこんだままになっている。
そっとドアをあけて、部屋をのぞいてみると、寝ているはずの大池の姿はなかった。
「なんだ、そうだったのか」
なかったはずだ。ボートを漕ぎだしたのは大池だったらしい。
そういえば、ボートの中に魚籠《びく》のようなものがあった。大池がこのボートで釣りに行くのだろうと思わなかったのが、どうかしている。
それにしても、大池はまだ釣りに耽っているのだろうか。久美子は窓をあけて湖をながめまわした。
朝日が湖面に映って白光のようなハレーション
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