いかにも美しいが、底を浚《さら》ったら、どんな凄いものが揚ってくるか知れたもんじゃない、なんて……こうなっちゃ、どんなすぐれた絵でも、真面目に鑑賞する気にはなれない。困ったもんだということですよ」
 なんのために、突拍子もなくこんな話をしだすのだろう。心の中を見ぬかれたとも思わないが、あてこすりを言われているようで無気味だった。久美子は探るように大池というひとの顔をながめまわしたが、黒々と陽に灼けたスポーティな顔にうかんでいるのは、感慨を洩らして満足している、いかにも自然な表情だけだった。
 罐詰のシチュウとミートボールで簡単な夕食をすませると、久美子は湖のそばへ一人で散歩に出た。
 落日が朱を流す、しんとした湖面をながめながらしばらく行くと、棒杭につながれて、ひっそりと身を揺っている一隻のボートを見つけた。
「ありがたいというのは、このことだわ」
 湖心まで漕ぎだして、そのうえで最後の作業をすることになるのだろうが、それまでの段取りはまだ考えていなかった。
 久美子にとって、このボートは、こうしろという天の啓示のようなものだった。
 明日の夜明け、空が白みかけたころ、ブロミディアを飲
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