の容器におさまったブロミディアの錠剤だった。
 ジャンパーの胸のかくしから転げだしたのを拾われたのだと思っていたが、そうではなかった。隆が薪箱の中から拾ってきたアンチモニーの容器は、さっきのまま夜卓の上にある。おなじ容器におさめられたおなじ催眠剤にちがいないが、久美子が持っているのとは、ぜんぜん別なものであった。
 久美子はベッドの端に腰をかけ、手の中のと夜卓の上にある二つの容器をジロジロと見くらべているうちに、隆という青年のいったことに、胡散《うさん》くさいところがあるのに気がついた。
 警察の連中や大池の家族がロッジに着く一時間ほど前、濡れものを乾すために薪箱の薪をあるだけ使って煖炉の火を焚しつけた……灰銀色の風変りなかたちをした軽金属の容器が薪箱の中にあったのなら、当然、久美子が見つけているはずだが、そんなものはなかった。
「嘘をいっている」
 久美子は今朝からの細々《こまごま》とした気疲れで、ものを考えることがめんどうくさくなり、煙草の煙をふきあげながらぼんやりと曇り日の湖の風景をながめていたが、どういう連想のつづきなのか、昨夜、大池に殺されかけたらしいという意外な思念が頭の中を閃めき、そのショックで蒼白になった。
 昨夜、大池と二人で夕食をしたとき、食べものか食後の飲みものに、相当大量のブロミディアをまぜて飲まされた……これはまちがいのないとこらしい。
 酩酊状態の深い眠りが、その証拠だ。癌にたいする精神不安と、はげしい仕事のせいで、このところ、ずうっと不眠がつづいている。マキシマムに近い量のブロミディアを飲んで、やっと三時間ほど眠る情けない日常だ。
 湖心に漕ぎだしてから飲むつもりで、昨夜はブロミディアを使わなかったのに、湖畔から帰るなり、広間の長椅子のベッドにころげこんで朝の五時ごろまで眠った。大池が広間を通ってロッジから出て行ったはずだが、それさえも知らなかった。
 空が白みかけたころ、ボートをさがしに出て行った。永劫とも思える長い時間、靄の中を茫然と歩きまわり、辷ったり転んだり、湖水に落ちこんで、頭からびしょ濡れになったりしたが、夢の中の出来事のようで、細かいことはなにひとつ記憶にない。
 禁止に近い量を常用しても、よく眠れないのに、あんな昏睡のしかたをしたところから推すと、よほどの大量を使ったのにちがいない。殺すつもりででもなければ、やれないこと
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