他人ではなくて自分自身なのであった。
 ……生活するということは、昨日と明日の継ぎ目を縫うことだと、なにかの本に書いてあった。ラジオ劇場の台本にあったセリフだったかもしれない。
「うまいことをいうもんだわ」
 久美子は出窓の鉄の手摺子《てすりこ》に凭れ、眼の下の狭い通りを漠然とながめながら唇の間でつぶやいた。
「この人生に明日という日が無いということは、継ぎ目を織る、今日の分の糸がないということなんだ」
 久美子は生存というものを廃棄するために、というよりは、自分という存在を上手にこの世から消すために、その方法をいろいろと研究した。想像力の及ぶかぎり、可能なあらゆる場合を想定し、プロットを立て、それに肉付《モデリング》した。これならばというプランを一月以上も頭の中にためておき、いくどもひっくりかえしてみて、完全だという確信ができたので、さっそく実行することにした。
 二年ほど前の秋、おなじ声優グループの仲《なか》数枝が、フラリと久美子のアパートにあらわれた。久美子は用があって、階下の管理人の部屋で立話をしていると、裏の竹藪へドサリとなにか落ちこんだような音がした。それをなんだとも思わず、十分ほどして部屋に帰ると、仲数枝が久美子の行李の細引を首に巻きつけてその端を出窓の手摺子に結びつけ、一気に窓から裏の竹藪へ飛んで死んでいた。
「やったねえ。若い娘にしては心得たもんだ……頸骨をへし折るように作業するのは、縊死のもっとも完全な方法なんだな。ほとんど苦痛はなかったろうと思う」
 老練らしい検視官が鑑識課の若い現場係に訓話めいたことをいっていた。
 仲数枝の最後の演技はすごい当りだったが、人生の舞台にはエンディングという都合のいい幕切れはないので、終末はひどくごたごたした。こういう死にかたをすれば、どんなみじめな扱いを受けるものかということを、久美子はつくづくと思い知らされ、死にたくなればいつでも死ねるという高慢な自負心がひとたまりもなく崩壊した。
 久美子が郷里の小学校にいるころ、生涯の運命を決定するような痛切な事件があった。土用の昼さがり、帷子《かたびら》を着て縁に坐っていた父が手を拍ちあわせながら叫んだ。
「ほい、これはまあ見事《ほうが》なもんや。どこもかしこも菜の花だらけじゃ」
 草いきれのたつ庭先には荒々しい青葉がぼうぼうと乱れを見せて猛《たけ》っているだけで、ど
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