るのか、思い切って素《そ》っ気《け》ない夫婦で、ときどき、夜半《よなか》ごろになって、すさまじい団六の怒号がきこえてくるようなこともあったが、青木の前では、互いに猫撫で声でものを言い合っていた。
十一月のはじめ、青木は東北の旅から帰り、その足で団六のアトリエへ訪ねて行くと、団六はめずらしくせっせと仕事をしていた。
日本間のほうを見ると、いつもそこの机にうしろ向きになって、牡蠣《かき》のようにへばりついている細君の姿が見えないので、どうしたのかとたずねると、病気で郷里《くに》へ帰っているのだといって、細君の郷里の、船饅頭という船頭相手の売笑婦の生活を、卑しい口調で話しだした。
十日ほどののち、いつものようにブラリとやって行くと、団六は畳のうえにひっくりかえって、しきりに手で顔をあおぐような真似をしている。青木が入って来たのを見ると、
「てへ、こりゃ、どうです。どだいひどい蠅で、仕事もなにも出来やしねえ。人間も、馬のように尻尾があると助かるがな」
といって、妙なふうに尻を振って見せた。
なるほど、ひどい蠅だ。
壁の上にも硝子天井にも、小指の頭ほどもある大きな銀蠅がベタいちめんに
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