黒い手帳
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)薄命《ファタール》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)千回|骸子《さいころ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Bleu de Me'thyle`ne〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 黒いモロッコ皮の表紙をつけた一冊の手帳が薄命《ファタール》なようすで机の上に載っている。一輪※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]しの水仙がその上に影を落している。一見、変哲《へんてつ》もないこの古手帳の中には、ある男の不敵な研究の全過程が書きつけられてある。それはほとんど象徴的ともいえるほどの富を彼にもたらすはずであったが、その男は一昨日舗石を血に染めて窮迫と孤独のうちに一生を終えた。
 この手帳を手にいれるためにある夫婦が人相の変るほど焦慮していた。けっきょく望みをとげることが出来ず、恨をのんで北のほうへ旅立って行った。そしていい加減なめぐり合せで、望んでもいない自分が、遺品といった意味合いでうやむやのうちに受取るような羽目になった。運命とは元来かくのごとく不器用なものであろう。
 今朝着くはずであった資料の行李は事故のために明日まで到着せぬことになった。焦《いら》だたしい時間をまぎらわすためにこの黒い手帳をめぐって起った出来事をありのままに書いて見ようと思う。彼とある夫婦の間の微妙なもつれについてである。
 当時、彼は六階の屋根裏に、夫婦は四階に自分は中間の五階に住んでいた。この二組の生活を観察しようと思うなら同じ数だけ階段を昇降するだけでよかった。自分は階下で夫婦と談話し、すぐその足で六階の彼のところへ上ってゆく。互いに関知せず、そのくせ微妙に影響し合う興味深い二つの生活を自分は両方からあますところなくながめていたのである。
 自分は文学者ではないから面白いようにも読みやすいようにも書くことは出来ぬ。が、ものを見る眼だけはたいして誤らぬと信じる。自分は見たままに書く。これを書く動機は充分にあるのだが、それまでうちあける気はない。懺悔のためとも感傷のためとも、勝手にかんがえてくれてよろしい。

 一、この年の中頃から為替《かわせ》は不幸な偏倚をつづけていた。三月目《みつきめ》にはむかしの半分に、半年の終りには約三分の一になってしまった。留学にたいする自分の年金は一定の額に釘付けされているので、研究に必要な所定の年月だけパリに止まるためには為替の率に応じて生活を下落させてゆかねばならぬ。そういう理由によって半年の間に三度移転した。一度毎に趣味が悪くなった。三度目のこの宿はこれ以上穢くては人間として面目を保つことは出来まいと思われるほどのものだった。
 手すりのかわりに索をとりつけた穴だらけの暗い嶮《けわ》しい階段を非常な危険をおかしてのぼってゆく。五階のとっつきに、その部屋があった。鉄棒をはめた小窓がひとつ。瓦敷の床、むきだしの壁には二三日前の雨じめりがしっとりとしみ透って、ところどころに露の玉をきらめかせている。これを人間に貸そうというのである。着想のすばらしさに感動してその部屋を借りることにした。為替の下落もよもやここまでは追いつくまい。とすると当分移転のめんどうだけははぶけるからである。
 寝台に腰をおろしてなすこともなく腕をこまぬいでいると、扉を叩いて、びっくりした子供のような一種不可解な顔をした男がはいってきた。髪は遠慮なく薄くなりかけているが、顔のほうは二十一、二歳でハタと発達をとめたものとみえる。
 自分の部屋を訪れるために無理に上衣の釦《ボタン》をかけてきたのだろう。その釦を飛ばすまいとして一生懸命に下っ腹を凹ましているふうだった。通例の挨拶の後、舌ったらずな口調で「わたしはこの階下に住んでいるものです。お差支えなかったら、おちかづきのしるしに晩餐をさしあげたい」といい「なにしろ今日は、降誕祭《クリスマス》前夜のことだから、ひとりで夜食《レウェイヨン》をなさるのは、さぞ味気《あじけ》ないだろう。それに、妻も非常に希望しているから」という意味のことをきわめてぼんやりとつけくわえた。
 一、夫婦の部屋は貧困なりにやはり家庭だとうなずかせる和《なご》やかな雰囲気があった。その中にたいへん小柄な女が立っていた。これが妻君だった。前髪を眉の上で切り揃えて、支那の女のようにしている。二十四五歳であろうか。どんな男をもどきりとさせずにおかぬような煽情的な眼付で手を握ると、「ようこそ」といった、それが自分には、Je t'aime(汝を愛す)といわれたような気がした。そんな錯覚を起させる過度なものが、たしかに抑揚《アクセント》の中に含まれていた。
 この夫婦はアメリカの生れのいわゆる第二世同志で、夫のほうは声楽を妻君のほうはピアノの勉強をしているということだった。
 食事と身上話がすむとお定まりのアルバムが出てきた。いずれの前例に劣らず退屈千万なものだった。その中に博徒のような無惨な人相をした角刈の男の写真があった。自分は興味を感じ、親族かとたずねると、それは布哇《ハワイ》の大漁場主で赤の他人なのだが、二人の勉強ぶりに感激して義侠的に三年の巴里遊学の費用をひきうけてくれ、いまここで勉強しているのはこのひとの後援によるものだといった。
 部屋へ帰ろうとしてたちあがると、そのとき窓にそってはるか階上から盛んに落下する物音をきいた。尿《いばり》の音にちがいなかった。自分はある爽快さを感じ、どんな奴の仕業かと、たずねると、あなたのすぐ上にいる日本人がやるんです。もとは画かきだったということですが、毎日部屋にとじこもってなにか計算ばかりしているんだそうです。この宿にはもう十年以上もいるとききましたといった。
 一、一月一日の朝のことである。上の部屋で傍若無人に飛びはねる粗暴な物音で眼をさました。いったい上の部屋の住人はこれまでも夜っぴて部屋を歩きまわったり、けたたましく椅子を倒したりして悩ましたが、この朝の騒ぎはじつに馬鹿馬鹿しいもので、そのために天井の壁土が剥離《はくり》してさかんに顔のうえに落ちてくる。これは我慢がなりかねた。
 無言で扉をおしあけると、眼の前にいささか常軌を逸した光景が展開した。広い部屋の床全面に約二尺ほどの高さにおどろくべき量の紙屑が堆積し、壁にはいたるところに数字と公式が落書してあった。床の上で自在に用便するとみえ、こんもりと盛りあがった固形物が紙屑のあいだに隠見していた。
 長椅子の上には、極めて痩身の四十歳位と思われる半白の人物がいて、敵意に満ちた眼で自分を凝視していた。それは何千人に一人というような個性的な顔で、額は異様に広く顎は翼のようにつよく張りだし、房のような眉の下には炎をあげているような強烈な眼があった。
 彼は無断侵入が真に憤懣《ふんまん》に耐えぬようすで「貴様なんだ」と叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]した。自分はほとんど眼も口もあけられぬ異様な悪臭に辟易《へきえき》し「臭くてこれじゃ話もなにもできぬ。いま窓を開けてから話す」と答えながら斜面の天井についている窓をおし開けた。
「天井の壁が落ちてきて物騒でしようがない。暴れるのもいい加減にしておけ」彼は急にうちとけた口調になって「実はナ、今日うれしいことがあってだれかと喋りたくてしようがなかったところなんだ。おれが騒いだために貴様がやってきたというのは、こりゃなかなか運命的な話だぞ……争われないもんだ。貴様があんな口調でものをいったのがおれの感情にピッタリした。忙しくなかったらしばらくそこへ掛けて行ってくれ。実はナおれの研究はまさに完成するところなんだ。間もなくおれは無限の財産を手に入れることになるんだ。無限だ。無限、無限! 突飛《とっぴ》にきこえるだろうが、おれは狂人じゃないよ。おれはねこの十年の間ルウレットの研究をしていた。屑箱の中の屑のようなものを喰って、寝る目も寝ずに計算ばかりしてたんだ。いったい丁半《ちょうはん》に法則がないというのが定説だ。早い話がポアンカレとかブルヌイユなんていうソルボンヌの大数学者が精密な計算を例にひいて証明している。たとえば奇偶《ハザアル》の遊びで、いま出た目とそのあとの目というものはそのたびに永久に新規《ヌウヴォ》だという。これがかれらの学説なんだ。よろしい……ところがわれわれは千回|骸子《さいころ》を振るといつも半々位の割合で奇偶が出ることをしっている。もし目がいつも新しいものなら、もし奇偶に法則がないものなら、なぜ奇数ばかり、あるいは偶数許り千回つづけて出るような出鱈目なことがないのだろう。それは不可能じゃない、と数学者はいうだろう。それア不可能じゃない」といいながら壁に書きつけた公式を指さした。「君はどういう研究を専門にやっているひとなのだね? あの公式の意味がわかるひとなのかね?」
 壁の上にはこんな公式があった。
[#天から6字下げ][#公式(fig46070_01.png)入る]
 めんどうくさくなったので、判らぬとこたえた。
「この公式はナ、たとえばルウレットの赤《ルージュ》・黒《ノワール》の遊びで、赤だけがつづけて百回出るようなことは、一世紀にたった一回しかないということを証明しているのだ。なにかしらの法則に支配されていて、けっして出鱈目なものでないことがわかるだろう。それどころか研究してみると、目の出かたはじつは秩序立った法則があることが判然する。ただしこの法則を発見するには、五十五万以上の組合せと同じ数だけの順列と取っ組まなくてはならん……五十万! どんな困難な仕事か君には想像も出来んだろう。おれは五年でやってのけるつもりでいたが、休みなしにやって十年もかかってしまった。そしておれはとうとうそれを発見したんだ。もう九分九厘というところまで行っている」そういうとふところから黒い手帳をとり出して頭の上でふりまわしながら「その公式はこの中にある。おれにとってルウレットはもはや僥倖を期待するあさはかな賭博ではない。おれにとってそれは組合せと順列の簡単な遊戯にすぎない。百万|法《フラン》を勝つのはわずか半日の暇つぶしですむのだ……どうだ無限の富を握るといったわけがわかったろう。……賭博の研究に十年も寝る目も寝なかったといったらひとは笑うだろうが、これは卑劣な利慾心だけではじめた仕事じゃない。じっさいのところ選り好みしようにもほかにどんな金儲けの能力も持ってなかったからなんだ……おれはこれでも絵かきだったんだぜ。十七の年から十五年の間、不退転《ふたいてん》の精進《しょうじん》をした。そして十年前に巴里《パリー》へやってきた。胸をおどらせてルゥヴル博物館へ飛んで行った。無数の傑作をながめておれは茫然自失した。やがて自分にいいきかせたね。これだけ優れた絵がたくさんあるのに、まだ自分の出場があると思うか……おれはその日から絵筆を折った。才能もないくせに絵の勉強などをはじめ、ろくに楽しい思いもせずに空費した青春のことを考えると、五十になってようやく十万円貯めたなんていうしみったれた儲けかたでは我慢がならなかったんだ」
 賭博の絶対的な法則などはありえない。虚在の対象を追求して十年の歳月を空費した愚かな執着のすがたをあわれ深くながめた。
 一、次の日から部屋に籠って勉強をはじめ、一週間ほど多忙な日を送っていたので、どちらの部屋もおとずれる機会がなかった。仕事がひと区切りついたので、その夕方、夫婦のいる四階へおりて行くと、夫婦は長椅子に並んで掛けていたが、夫のほうは放心したような中心のない顔をし、妻君のほうはせっか
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