闡オえて、支那の女のようにしている。二十四五歳であろうか。どんな男をもどきりとさせずにおかぬような煽情的な眼付で手を握ると、「ようこそ」といった、それが自分には、Je t'aime(汝を愛す)といわれたような気がした。そんな錯覚を起させる過度なものが、たしかに抑揚《アクセント》の中に含まれていた。
 この夫婦はアメリカの生れのいわゆる第二世同志で、夫のほうは声楽を妻君のほうはピアノの勉強をしているということだった。
 食事と身上話がすむとお定まりのアルバムが出てきた。いずれの前例に劣らず退屈千万なものだった。その中に博徒のような無惨な人相をした角刈の男の写真があった。自分は興味を感じ、親族かとたずねると、それは布哇《ハワイ》の大漁場主で赤の他人なのだが、二人の勉強ぶりに感激して義侠的に三年の巴里遊学の費用をひきうけてくれ、いまここで勉強しているのはこのひとの後援によるものだといった。
 部屋へ帰ろうとしてたちあがると、そのとき窓にそってはるか階上から盛んに落下する物音をきいた。尿《いばり》の音にちがいなかった。自分はある爽快さを感じ、どんな奴の仕業かと、たずねると、あなたのすぐ上にいる日
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