むり/宕」、第3水準1−91−3]《ろうとう》の煎汁を飲ませて夫を殺したつい最近の事件であった。病中の躁暴《そうぼう》状態が異様だったことを女中が近所にいいふらしたので発覚した。
 かなり夜が更《ふ》けてから部屋へ帰ろうと、たちあがるとピアノの上に一冊の見なれぬ本が載っていた。なに気なく手にとって見ると、「摘要毒物学」R. A. Witthaus, Manual of Toxicology という標題がついている。奇異に感じて思わず夫婦のほうへふりかえると、妻君が、私は以前探偵小説を書いたことがある。さいわい「探偵《ヂテクチーヴ》」という雑誌の編輯者と懇意であるから、またそれをはじめて生活の足しにするつもりだ。そのためにいま速成の勉強をしているのだという意味のことを沈着な口調で説明した。
 一、帰るとすぐ寝床へはいったが、夫婦が殺人を企てているのではなかろうかという疑念のためにどうしても眠りにつけぬのであった。強いて頭を転じようとしたが、どうしても、どういう動機によって疑念をおこすにいたったか考えて見ることにした。
 第一は夫婦の部屋にはいって行ったときの印象である。自分が入って行くと
前へ 次へ
全41ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング