」に傍点]遣手婆《やりてばば》のように、心得顔に万事をとりしきって、分家のなにびとにも有無をいわせなかった。
 つぎの夜、正明は猛然と葵の前に立った。彼は異常な Satyriasis の傾向をもっているのだが、実際のことは知らなかった。老女が教えても、それを了解することが出来ない風だった。しまいに懊《じ》れてくると、爪をのばして、ところ嫌わず老女を掻きむしるのだった。
 忠義一途なこころから、老女が力いっぱいに葵をつかまえる。その近くで、白痴面が、れいの眼玉をたえずギョロギョロと動かし、鼻翼をふくらませながら、夢中になって無益な身動きをつづけているさまは、なんといっても、この世のすがたと思われなかった。
 しかし、結局は、いつも葵のほうが勝つ。力いっぱいにはねのけると、母のいる数寄屋まで逃げてゆくのだった。すると、老女は、この家には、たれ一人自分に手を貸すものはない、言語道断な不忠ものばかりだ、といって、さんざんに猛りたち、あげくは、大声で泣き出すのだった。この格闘は、ひと月に五六度は、きまってくりかえされるのだった。
 葵はこの環境から逃げだすことばかり考えていた。もとより母は※[#
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