風がふきこんできた。葵はうとうとしかけた……
廊下のはしに久我があらわれた。大股で近づいてくると、おしだすような声で、
「やあ……」
と、いった。唇がぴくぴくと動いた。咄嗟に、なにもいえない風だった。
葵は、とろんとした眼を半分ひらいて久我を見る。いっぺんに眼がさめた。
「ひどかったでしょう」
「なんでもなかった。……もうきょうは帰ってもいいんですって」
わざと投げやりな調子で、いった。こんな風にでも言わなければ、わっ、と泣きだしてしまいそうだった。
久我は、撫でさするような眼つきで葵を眺めていたが、急に葵の手の甲を指すと、驚いたような顔で、たずねた。
「どうしたんです、これは」
「……虫づくし、よ。……蚤、蚊、虱、南京虫。……辛かってんわ」
そして、微笑してみせた。……うまく笑えなかった。
久我は、すこし険しい顔になって、
「それは、ひどい。……それで、どうだっていうんです、警察じゃ」
「虫も殺さないような顔で大それたことをしやがって……」
「ひどいことをいう!」
「慾ばりのむくいよ」
久我は、葵のそばへ並んで坐りながら、
「……もっともあなたばかりじゃありません。あ
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