、入口のところで久我にすれちがうと、急に彼の顔を指さしながら、甲高い声で、
「ロオマ! ロオマ!」
と、二声ばかり叫んで出ていった。
客は一斉に不審そうに久我の顔を見あげた。
久我が卓につくと、西貝がたずねた。
「あいつ、いま、なんていったんだね」
「僕がおしのけたと思って悪口をいったんです。老鰻《ロオマ》ってのは、台湾語で鰻のことですが、悪党、とか、人殺し、とかっていう意味でもあるんです」
「ヘイ、君は台湾語をやるのかね。(と、いってから、大きな声で)オイ、日本盛《にほんざかり》」
と、叫んだ。
「僕は台湾で生れたんです。……でも、両親は日本人ですよ。……大阪外語の支那語科を出ると、青島《チンタオ》の大同洋行へはいったんですが、どうもサラリーマンてのは僕の性にあわないんですね。また台湾へ舞い戻って、コカの取引ですこし金をこしらえたので、思いきりよくサラリーマンの足を洗って、新聞記者になるつもりで東京へやって来たんです。……僕は上海語も北京語も台湾語も話せるんですが、どこかの新聞社へもぐりこめないものでしょうか」
西貝はコップで盛んに呷《あお》りながら、無責任な調子で、
「い
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