おえませて立っていた。すこし、人間ばなれのした美しさだった。
三人は、やあ、と嗄れたような声でいうと、そのまま、黙りこんでしまった。座につくと、久我は三人の顔を見くらべながら、
「どうしたんです。ひどく改まっているようだが……」
那須は坐り直すと、ベッタリと髪を貼りつけた木槌《さいづち》頭を聳やかしながら、単刀直入に、いった。
「久我さん、だしぬけで失敬ですが、二十分ばかり接見《インタアビュ》をさせてください。……ここでいけなかったら、二人だけで別室へ行ってもいいのですが……」
「いや、関いません。……それで、なにをおたずねになるのですか……」
「ご承知のように、僕はこんどの絲満事件を、最初からずっと担当してやっていますが、じつは最近、この解釈についてある理論的な到達をしたのです。多少あなたにも関係があるので、直接その本人に質問しながら、僕の推理が成功しているかどうかを確かめて見たいと思うんです。……ひとことお断りして置きますが、これを職業的に利用しようなどというケチな了見はありません。純粋に実験的な興味からです。またもちろんこの場かぎりのことで、絶対にそとへは洩らしません。……答えたいことだけ答えてくださればいいのです」
久我はしばらく黙っていたのち、すこし顔をひきしめて、
「どうか、おたずねください。ご満足のいくようなお答えが出来るかどうか知りませんが」
那須は不敵なようすで口をきった。
「では、さっそくはじめます。……久我さん、あなたは昭和二年の春、漢口《ハンカオ》で開かれた汎太平洋労働会議に派遣されたまま、今日まで行衛不明になっていた岩船重吉《いわふねじゅうきち》さんでしょう」
キラリと眼を光らせて、
「そうです。……よく判りましたね」
淀みのない声だった。那須はあっ気にとられたような顔をした。久我は面白そうに、
「私はもうそろそろ日本に国籍がなくなりかけているのですが、……どうして判りました」
「岩船重吉の古い詩集のなかに、〈自画像〉という詩がありますね。あの中で描写されている風貌は、久我千秋のそれと全然同じです。従って、久我千秋はすなわち岩船重吉なのです」
久我が、かすかに苦笑した。
「久我さん、あなたはいつ日本へ帰って来たのですか? それまで、支那でなにをしていました? 全国自連に関係がありますか?」
「今年の五月の末です、ちょうど十年ぶりで帰ってきました。支那では、香港《ホンコン》、漢口、北京《ペキン》という工合に転々としていたのです。最近の二年は上海《シャンハイ》にいて、そこの賭博場でマネエジャーのようなことをしていました。全国自連には関係がありません。……(そういい終ると、那須の顔を見つめて)しかし、おききになりたいというのはこんなことですか。……さっきは、絲満事件について、と言われたようでしたが……」
那須はすこしテレたような顔をして、
「いや、そうじゃありません。……あまりあなたの返事っぷりがいいので、つい、いい気になったんです。失敬しました……では……ひとつきいてください。ご承知の通り現場《ヤマ》はさんざんにひっくりかえされていて、ひと眼で初犯の手口だということがわかる。だが、それは非常な綿密な人物で、証拠というほどのものはなにも残していません。手の触れたところは、みないちいちハンカチで、拭ってあるという有様です。ひとつとして忘れたところがない。実にどうも驚嘆に価いしますね。……残っていたものというのが、柳の木の幹のすり傷、衣裳戸棚の中のすこしばかり乾いた泥。それからこんどの釦《ボタン》の血の紋章です。……これだけです。……この釦は現場の血溜のなかから拾ったものとする。すると、いきおい加害者は女の服を着ていたということになりましょう。……ところで、こんどの犯罪劇《グランギニョール》の舞台に、四つの女のタイプが登場しています。……第一はその前夜の十一時頃〈那覇〉へ飛びこんで来て絲満と酒をのんだという、ボーイが見た二十二三の、すらりとしたモダン・ガール。第二は、前夜の八時頃古田君が蛤橋の袂で出逢って、十時すこし前まで〈那覇〉でいっしょに飲んだという十八九の、小柄な美しい娘。……第三は、その夜の午前三時ごろ浜園町の附近で巡視中の巡査が見かけたという、令嬢といった風の、二十二三の美しい上品な女。……第四が、六月四日に松村貸衣裳店へ現れた、怒り肩の、すこし不恰好な背の高い女です。……ところで、これらの特徴を拾いながら、だんだん整理して見ると、この四人の女は三つの類型《ジャンル》に分類されるのです。くどく説明するまでもなく、第二の女は小柄だという点で、これは独立したAという属《ジャンル》にはいる。第四の女は、不恰好でみっともなかったというので、また別のBという属にはいる。第一と第三は、どちらも二十
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