りかえる。鼠がひどい音をたてて天井裏を駈けていった。
「ふん、鼠か……」
安心したように机へ向きなおろうとすると、また、ゴトリと鳴った。かすかに靴底の擦れる音がきこえる。……そっと誰れか階段をあがってくるのだ。抽斗のなかへ手早く写真をさらえこむと、ふりかえりざま、
「どなた」
と、叫んだ。……返事がない。
(そうそう、さっき西貝を迎いにやったっけ。……畜生め、なんだって黙ってあがって来やがるんだ)
立ちあがりながら、乾が声をかける。
「西貝君かね」
扉がしずかに開いた。
はいってきたのは古田子之作だった。蒼ざめて、ひどく兇悪な顔をしていた。唇がピクピクとひきつり、その間から白い歯が見えたり隠れたりしていた。後ろ手で扉をしめると、くゎっと見ひらいた眼で乾を見すえたまま、のっそりと近づいてきた。帽子を[#「帽子を」は底本では「帽子をを」]ぬいで雫をきりながら、
「よう、今晩は」
と低い声で、いった。
乾は眼に見えないほど、すこしずつ寝台のほうへ後しざりをする。古田は椅子をひきよせて掛けると、ニヤリと凄く笑った。
「今日は、お礼にやってきた」
乾はわざと驚いた顔で、
「……お礼……、何ですか、そりゃ……、あたしはべつにあんたから……」
「やかましい!」
ピタリ、と口を封じられてしまった。
「その前にすこしききてえことがある。突っ立ってねえで、そこへ掛けろ」
乾は用心深く寝台にかける。
古田はがっちりと腕組みをして、
「ときに、お前の商売はなんだ」
「……ごらんの通り、古家具をやっておりますが……」
「そうか。……じゃ、お前はべつに警察の人間というわけでもねえのだな」
「飛んでもない……」
「じゃア、なんのためにおれを密告《サシ》た。……洒落か。……それとも、酔狂か」
古田の歯が、カチカチと鳴った。
乾は扉のほうへチラリと眼を走らせる。
(こりゃ、助からないことになった。……本当のことをいったら、なにをしでかすかわかったもんじゃない。……ひとつ、なんとか胡魔化して切り抜けるか……)
古田は叱咤した。
「なんとか吐かせ!」
乾はどういう工合に切り抜けたものかと考えながら、
「……サス? ……なんのことだか、一向どうも……、あたしは、ひとさまに迷惑をかけるようなことは、ついぞ……」
「野郎! しらばっくれやがって!」
古田が立ちあがった。乾は腰を
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