女のそれと、まさしく一致しているので、恐惶して、早速そのよしを上官に報告した。捜査の重点は直ちにこの部分へ移され、警視庁捜査第一課と、洲崎署の全力は、古石場町を出発点にして、全市域に亙って、その足跡を追跡しはじめた。
〈その女〉は、牡丹町三丁目から右折して平久町へはいり、曲辰《かねたつ》材木置場の附近まで行ったことが判ったが、足跡は、そこでバッタりととだえてしまった。突然、大地へとけこんでしまったのである。
 なんの手がかりもないままで、それから一週間たった。今朝のある新聞は、警視庁が女尊主義《フェミニズム》の傾向におちいるのは、捜査のために、あまり有益なことはあるまいと、揶揄していた。

 葵は寝床のなかで、それを読んでいた。
 久我が予知したように、その後、葵は召喚されることもなかったので、毎朝、ゆったりした気持で、新聞に読みふけることが出来るようになった。
 葵は、この事件の記事が眼にふれるたびに、はじめて久我と逢った朝のことを、いつも、こころ楽しく思いだす。いろいろな記憶の細片《デブリ》……。とりわけて、特高刑事だと明されたときの、強烈な印象を思いかえす。
 あのとき、葵が蒼ざめて首をたれたのは、これほどまでに真率な久我にたいし、あくまでも偽りとおさねばならぬ、いまわしい自分の経歴を悲しんだからだった。
 葵が久我に、一ヵ月ほどまえに、はじめて東京へ来たといったのは嘘である。彼女は東京で生れ、そして、そこで育った。
 葵はある大名華族の長女に生れた。西国の和泉《いずみ》高虎の一門で、葵の家はその分家だった。代々、木賀に豊饒な封地をもち、瓦壊前は鳳凰の間伺候の家柄だった。
 旧幕時代の分家というものは、親戚であっても、だいたい、家臣同様の格に置かれたものだが、和泉藩に於ける分家とは、あたかも、主人にたいする奴僕《ぬぼく》の関係にひとしかった。葵の家の家憲には、つぎのような一章があったのである。
〈……ひたすら、ご本家さまに恭順し、いかなるご無能のおん申しいでにても、これに違背せざるを、家憲の第一といたすべく、子々孫々……〉。この家憲は、現代もなお、違背なく固く遵守されているのだった。
 葵の父は、生来|羸弱《るいじゃく》な、無意志な人物だった。母は美しいひとだったが、劇しい憂鬱症《ヒポコンデリー》で、葵のものごころがついた頃には、もう、ひとり離れた数寄屋のなか
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