いだろう、なんとかなるだろうさ。ま、飲みたまえ。……(そう言って、久我のコップに、またなみなみと酌ぎながら)それでなにか書いたことがあるの、君は」
「これでも、むかしは詩をつくったことがあるんです。おちかづきのしるしに一冊献上して、大いに悩ませるつもりです。覚悟していて下さい」
西貝は酒と暑気で真っ赤になった顔を、ぶるん、と、なでながら、上機嫌に笑いだした。
「愉快なやつだな、君は。……小生のほうは、これで坊主の子さ、本来は坊主になるはずだったんだが、小生のような、俗気のない高潔な人間は、あの商売に向かないんだよ。そこで……、大学を出ると、志を立てて新劇俳優になった。そもそもの最初は……(と、いいかけて入口のほうを見ると、急に椅子の上で腰を浮かせて)お、那須がきた! ……あいつ、またなにか掴んできたぞ。……すこし想像力《イマジネーション》を要する事件になると、警察なんてものは手も足も出ないんだからな。新聞社の若い連中のほうがずっとましなんだ。(そして、手を高くさしあげると)オイ、那須……」
と叫んだ。
那須というのは、頭髪をべったりと頭蓋骨にはりつけた、背の高い痩せた青年で、西貝を見るとうれしそうな微笑をうかべながら、急いで近づいてきて、掛けるやいなや、オイ、菊正《きくまさ》! と、怒鳴った。
西貝は久我のほうへ顎をしゃくって、
「こちらは、久我君。……このひとも怪人から手紙をもらったひとりなんだ。ときになにかニュースがあるか」
那須は頭をかかえこんで、
「駄目、駄目。……(それから、顔をあげると、身体をゆすぶりながら)昼からいままで、僕は永代橋と荒川の放水路の間を駈け廻っていたんだ。それから、〈那覇〉の常連とあのへんの地廻りを、ひとりずつ虱っ潰しにして見たんだ。……ちょっと面白いことがあるんだね。富岡町の〈金城〉ってバアの女給に、朱砂《しゅすな》ハナ、ってのがいてね。これが、殺された南風太郎と同じく、琉球の絲満人なんだ。東京へそれを連れてきたのも南風太郎だし、一時は夫婦のように暮していたこともあるんだ。こいつは、琉球で小学校の先生までしたことがあるんだが、いまはもうさんざんでね。バアの二階で大っぴらに客をとるんだ。チョイト小綺麗でね、モダン・ガールみたいな風をしているんだ……こいつをききこんだときはうれしかったね。……ほら、前の晩に〈那覇〉へ酒をのみにき
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