を眺めている。なるほど、こういう場末町の不潔な酒場にはそぐわない男である。凄いほどひき緊った、端麗な顔をした三十四五歳の青年で、すっきりとした薄鼠の背広に、朱の交った黄色いネクタイをかけ流していた。銀座でもあまり見かけないような美しい青年である。
 青年も二人の先客も、互いの眼をはばかるように背中合せに坐ったまま、さっきから身動きしようともしない……。こんな風にして時間がたつ。

 それから二十分ほどすると、急に扉《ドア》があいて、二人の男が前後になってはいってきた。
 一人は小鳥のようにうるさく頭を動かし、キョトキョトと酒場のなかを見まわしながら、なにかしばらく躊躇《ためら》っていたが、やがて、逃げるように出てゆくと、たちまち街路のむこうへ見えなくなってしまった。
 もう一人は菜葉服を着た赧ら顔の頑丈な男で、番台に凭れかかると、そこからじろじろとしつっこく三人を眺め、それから、
「オイ、鶴さん、米酒《ピーチュ》」
 と、酒棚のほうへ顎をしゃくった。
 このほうは、どうやらここの常連らしい。発動機船の機関士か造船所の旋盤工というところ。チャップリン髭をはやしているのが異彩をはなつ。
 手の甲で唇を拭うと、妙にきこえよがしに、
「おう、今朝だれか俺をたずねて来なかったかよ、鶴さん……」
 と、男《ボーイ》にきいた。男は頭をふった。(この問答をきくと、三人の客は一斉にちょっと身動きしたようであった)
 菜葉服は、ふうん、といくども首をかしげてから、こんどは低い声で、
「……じゃなあ、俺はまたちょっと機械場へ行ってくるからよ、古田……古田子之作《ふるたねのさく》ってたずねて来たやつがあったら、子之はじきまたここへ戻ってくると言ってくんなヨ。……おい、頼んだぜ、鶴さん。すぐ戻ってくるってナ、いいか」
 くどく念をおすと、バットに火をつけながら出ていった。
 酒鼻はそのあとを見送りながら、思い出したように時計をひきだして眺め、おや、十一時か……と、つぶやく。すると二十日鼠はつぶっていた眼を急にパッチリとあけて、
「失礼ですが、いま何時でございましょう。正確なところは……」
 と鹿爪らしい声でたずねた。
「十一時十分。……正確にいえば、十一時九分というところですかな」
 二十日鼠は頭をさげると、また壁に凭れて眼をとじてしまった。酒鼻は時計をしまいながら、青年に、
「あなたもここ
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