なことを考えているか、だいたい僕にはわかってるさ。……(天井をながめながら)たとえば、君はこんな風にかんがえる。……僕の行動が警察官にふさわしくない、なんてね」
度を失って、葵は口ごもった。
「……そんな」
「うそじゃない。そう考えるほうが至当なんだ。さもなけりゃ薄情さ。……君が疑問に悩まされているのを、だまって見すごしているのは、友人としても亭主としてもあまりほめた態度じゃない。……しかし、われわれの職業にはひとつの倫理的な掟がある。……黙秘すべきものを守る。……責任感とか義務とか、そんな観念的なものでなくて、もっと高い……たとえば良心というような。……だから、これを冒すと非常にこころが痛むんだね。……古風だと思うかも知れないが、僕がそういう掟に誓っている以上、君もやはりそれを認めてくれなくてはいけない。……僕の行動をいちいち君にうち明けなくとも、まさか愛情の点で、どうのこうのと考えやしまい……」
「よくわかってますわ。……いままでだって、お仕事のことをおたずねしたおぼえはなくてよ」
久我は微笑しながら、
「そうさ。君は質問しない。……だけど、君の眼はいつもききたがっている」
葵はすこし赧くなって、
「悪い眼ね。……これから気をつけますわ」
「それはそうとして、すこし釈明しておくかな(葵の顔を見ながら)……六月一日に大阪で起った銀行襲撃事件ってのを知ってるかね?」
「えッ、それが?」
「それが、無政府共産党の仕業だったんだね。(それから、眼をつぶりながら)その、共犯の一人がすぐま近にいる」
「ええ、それで?」
「あとは言えないのだから訊かないでくれ。……要するに、そういうわけだ、想像にまかせる」
ボーイが名刺を持ってはいってきた。葵はほとんど本能的に立ちあがって名刺を受けとると、その名の上へす早い一瞥をくれた。名刺には厳《いかめ》しい四号活字で、
〈兵庫県警察部特別高等課 山瀬順太郎〉
と刷ってあった。
久我は名刺を見ると、急に顔をひきしめて、そのひとに階下の控室ですこし待っていてくれるように、と、ボーイにいうと、手早く服を着換えはじめた。
葵のこころに明るい陽のひかりがさしこんできた。しらじらとした部屋の趣も、どんよりとした空のいろも、さっきほどわびしくは思われなくなった。
久我は葵を絲満の加害者だと信じているわけでも、彼が身分を偽っていたのでも
前へ
次へ
全94ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング