し、私は重苦しい霧にとざされた、広漠たる氷原の上にただひとり残された。灰色の無限の空間は、なにひとつ物音もなく、しんとした静寂に充たされ、氷原は波のうねりがそのまま凍りついて、死滅した月の表面のような冷涼たる趣きを呈し、十尋の底まで透けるかと思われるほど透明で、ぞっとするような物凄い緑色をしていた。
私は孤独の感じと闘いながら、漂うように島のほうへ歩きだした。寒気は非常にきびしく、靴はたちまち石のように凍ってしまい、鋭い錐氷に爪先を打ちつけると、飛びあがるほど痛かった。普通の歩き方では一歩も歩まれない。氷の畝から畝へ、飛ぶようにして行くほかはない。爪先を極度に緊張させるので、ふくらはぎが痛み出し、長く歩行をつづけることができなかった。
幾度か転倒しながら進んで行くうちに、また霧が動いて、島の全景が唐突に眼の前に立ちあらわれた。
雲に蔽われた黒い岩山が、断崖をなして陰気に海岸のほうへ垂れさがり、その周りを、雪煙と灰色の霧が陰暗と匍いまわっている。岩と氷と雪がいっしょくたに凍てついてしまった地獄の島。その永劫の静寂の中で、海鴉が断崖の端でゆるい輪をかいている。
一、海岸に面した氷の
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