ひと言もそれには触れなかった。いろいろと考えているうちに、その娘は一月四日以前に殺害されたと信ずるようになった。
一九〇三年に英国で公表された「スウェルドルップの告解」(Confession of Swelldorepp, London)は、北極クングネスト島探検の際、ジョンス湾に残留したフラム号の乗組員十名が、一人の婦人を争って、全滅に瀕した惨劇の記録である。二名は発狂し、他の八名は猛獣のように殺傷しあった。その中に二組の父子がいたのである。争闘ははてしなくつづき、全員、死滅するかと思われた時、ひとりの気丈な船員は、生き残った同僚の命を救うために、ひそかにその婦人を絞殺し、死体を海中へ投げこんでしまった。この秘密は、その後、二十年の間、各自の厳重な緘黙によって保たれていたが、スウェルドルップの臨終の懺悔によって、はじめて明らかにされた。荒凉たる絶海の孤島に住む六人のあらくれ男の中に、ただ一人の若い娘……そのことは、当然、起るべくして起った。どのような光景だったか、想像するに難くない。比喩的な表現を用いれば、六人の男どもは、膃肭獣の島の気質にならって、劇しい争奪の末、無残にも雌をひき
前へ
次へ
全51ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング