いでいた。心をときめかしながら氷柱の隙間からその奥へ入って行くと、洞穴はあっけなく四五間で行きどまりになり、羊歯や馴鹿《となかい》苔が岩の腹に喰いついているのが認められるだけで、人が住んでいるようなしるしは、なにひとつ見あたらなかった。
 洞の中はうす暗く、おどんだような闇の中から、いまにもアーエートの亡霊が朦朧とよろめきだしてくるような気がする。洞穴のなかほどのところに立って、仔細らしくそこここと透かしていたが、ふとアーエートが死んだのは、五年前の今日ではなかったかというような気がし、恐怖に襲われて入口のほうへ走りだすと、岩の割目に手をかけて狂気のように断崖をよじのぼった。
 私は崖の端に腰をおろし、額から滴たりおちる冷汗をぬぐいながら息をはずませていた。見おろすと、塩蔵所の焼棒杭が弱々しい冬の陽に染まりながら寂然たる氷の渚に不吉なようすで林立している。丘の下には焼け焦げた五つの屍体……洞穴の薄明の中には横死をとげた不幸な魂……巻煙草を出して火をつけ、能うかぎりの悠長さで煙をふきながら、得体の知れぬ妄想をはらいのけようとつとめたが、この島にたいする嫌悪の念はいよいよ深まりゆくばかりで
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