ひどく混雑する。いい声で源太節を唄うのがあると思うと、逆上《のぼせ》た声で浄瑠璃を唸るやつもある。
ほかの町内の風呂というのはなんとなく気ぶっせいなもので、無駄口をたたきあう知った顔もないから、濡手拭いを頭へのせてだんまりで湯につかっていると、ふと、こんなモソモソ話が聞えてきた。柘榴口《ざくろぐち》の中は薄暗いから顔は見えないが、どちらも年配らしい落着いた声。
「お聴きになりましたか、阿波屋の……」
「いま聴いてゾッとしているところです。……じっさい、ひとごとながら、こうなるといささか怯気《おじけ》がつきます」
「朝っぱらから縁起でもねえ、どうにも嫌な気持で……」
「いや、まったく。……そりゃそうと、これでいくつ目です」
「六つ目。……阿波屋の葬式といったらこの深川でも知らぬものはない。今年の五月に総領の甚之助が死んで、その翌月に三男の甚三郎。七月には配偶《つれあ》いのお加代。八月には姉娘のお藤と次男の甚次郎。……しばらく間があいたからそれですむのかと思っていると、こんどは四男の甚松が急にいけなくなって、きょうの払暁《ひきあけ》に息をひきとったというンです。……どういうのか知らねえが
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