顎十郎捕物帳
猫眼の男
久生十蘭
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)府中《ふちゅう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)府中|六所明神《ろくしょみょうじん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]
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府中《ふちゅう》
「……すみませんねえ。これじゃ冥利につきるようで身体がちぢみます」
「やかましい、黙って乗っておれというのに」
駕籠に乗っているのは、ついこのあいだまで顎十郎の下まわりだった神田鍋町の御用聞、ひょろり[#「ひょろり」に傍点]の松五郎。
かついでいるほうは、もとは江戸一の捕物の名人で、今はただの駕籠屋。仙波阿古十郎あらためアコ長。相棒は九州の浪人くずれで雷土々呂進《いかずちとどろしん》こと、とど助。
とど助はどうでもいいが、顎十郎のほうは、ひょろ松にしてみればなんといっても以前の主人すじ。いわんや、捕物御前試合で勝名のりをうけたほどの推才活眼《すいさいかつがん》、師匠とも先生ともあおいできた仙波阿古十郎。
むこうは、ふっつりと縁を切ったつもりかも知れないが、こっちは切られたとは思ってない。駈けつけて行って袖にすがれば、いつでも智慧を貸して貰われると思っている。
本来なら、自分のほうが棒鼻につかまって引っかついで行くべきところを、こちらが師匠にかつがれて駕籠の中で膝小僧をだいて揺られているというんだから、これは、どうも気がさすのが当然《あたりまえ》。
もっとも、ひょろ松のほうで、おい、駕籠と大束をきめこんだわけじゃない。事実のところザックバランに言えば、嫌がるのを無理やりに乗せられた……。
五月五日は、府中|六所明神《ろくしょみょうじん》の名代の暗闇祭《くらやみまつり》。大国魂《おおくにたま》さまの御霊遷《みたまうつし》のある刻限前に、どうでも府中まで駈けつけねばならぬ用事があって、甲州街道の駕籠立場まで来て、むこうっ脛の強そうなのを選んでいると、いきなり顎十郎にとっつかまってしまった。
「おお、ひょろ松じゃないか。大仰《おおぎょう》な旅支度で、いったい、どこへ行く」
正月の狸合戦以来、かけちがって半年近くあわなかったところだったので、ひょろ松も懐かしく、顎十郎のそばへ駈けて行くと、半纒の襟にすがらんばかりにして、
「おお、これは先生、……阿古十郎さん、いつも御機嫌よくて……」
顎十郎のアコ長は、有名な冬瓜顎をツン出して、
「挨拶などはどうでもいい。いったいぜんたい、どこへ行く」
「実は、府中まで急な用事がありまして、どうでも夕方までにむこうへ着かなくてはならねえという大早乗。いま威勢のいい駕籠をさがしているところなンです」
「おお、それはちょうどいい都合だった」
「えッ、ちょうどいい都合とおっしゃると……」
「俺の駕籠があいてるから、これに乗れ」
「じょ、じょ、ご冗談……」
「なにもそう反っくり返って驚くほどのことはあるまい。ここ五日ばかりあぶれつづきで弱っていたところだ。いい折だからお前を乗せてやる」
「どうしまして、そんなもったいねえことが……」
と言いながら、ヒョイとかたわらにおいてある駕籠を見ると、これがひどい。
吉原土手で辻斬にあったやつがお鉄漿溝《はぐろどぶ》の中へころげこんで、そこに三年|三月《みつき》も浸《つか》っていたというようなおんぼろ駕籠。
垂れはケシ飛び凭竹《もたれ》は干割れ、底がぬけかかったのを荒削りの松板を釘でぶっつけてある。この駕籠で七里半の道をゆられて行ったら、まず命がもたない。
ひょろ松は、恐れをなし、
「うわッ、こいつアいけねえ。この駕籠じゃどうも……」
とど助は、花和尚魯智深《かおしょうろちしん》のような大眼玉を剥《む》いて、腕まくりをしながらアコ長のほうへ振りかえり、
「こやつは不とどきな奴ですな。むかしの主人が食の料をうるために乗ってくれとことをわけてたのんでおるのに、素見《ひや》かすというのは怪しからん。こういう不人情なやつは、脛でもたたき折って、否応なしに駕籠の中へドシこんでしまわッせ。拙者もお手つだいするけン」
ひょろ松は、手をあわせて、
「乗ります、乗ります。観念して乗せていただくことにしますから、そんな凄い顔をしないでください」
ひょろ松は、ほうほうの態で駕籠のほうへ近よりながら、
「いや、どうもひどい目にあうもんだ。……では、はなはだ申しわけありませんが、どうかよろしくお願い申します」
と、草鞋の紐をときかけると、アコ長は駕籠の前へ立ちふさがり、
「まア、まア、待ってくれ。乗るのはいいが、今すぐ駈けだすというわけには行かん。実は、昨日からなにも食っていねえので、このままじゃア駕籠を持ちあげることさえ出来やしない。ともかく、二人に飯を食わせてからのことにしてくれ」
「こりゃア驚いた、それもわたしが払うんで」
「まあ、そうだ」
「乗りかかった駕籠だ。もう、観念しまっせ」
二人のうしろに喰いついて、ひょろ松が渋しぶ立場へ入ると、アコ長ととど助は落着いたもので、芋豆腐《いもどうふ》を肴にいっぱい飲《や》りだした。
ひょろ松は、あわてて、
「こりゃア、どうも弱った。そうゆっくり腰をすえられちゃア困ります。なにしろ、あっしは大急ぎなンで……」
とど助は、気にもかけぬふうで、
「まあ、まア、そう急ぐことはない。これから府中までは七里半の道。じゅうぶんに兵糧《ひょうろう》を入れておかんことには早駈けすることが出来ん。兵には糧、駕籠屋には酒。ちゃんと兵法の書にも書いてある。あんたもあわてずドシコと飯でもつめこんでおきまっせ」
銀簪《ぎんかんざし》
ようやく腰をあげたのが、正午《ひる》すぎの八ツごろ。
アコ長もとど助も空っ腹にむやみに飲んだもんだからへべれけのよろよろ。一歩は高く一歩は低くというぐあいに、甲州街道を代田橋から松原のほうへヒョロリヒョロリとやって行く。
駕籠の中のひょろ松は大|時化《しけ》にあった伝馬船のよう。駕籠が揺れるたびに、つんのめったりひっくりかえったり、芋の子でも洗うような七転八倒《しってんばっとう》。
座蒲団なんてえものもなく、荒削りの松板に直《ぢか》に坐っている上にあっちこっちにぶっつけるもんだから頭じゅう瘤《こぶ》だらけ。
ひょろ松は、情ない声で、
「もしもし、お二人さん。なんとかも少しお急ぎくださるわけにはまいりますまいか。このぶんじゃ府中へつくと夜があけてしまいます」
アコ長は、膠《にべ》もなく、
「まア、あわてるな。どうせ一本道。ブラブラやって行くうちに、いずれは府中へつく。……それはそうと、ひょろ松、いったい、どんな用むきで府中へなどすっ飛んで行くのだ。ひとつ眠けざましに聞かせたらどうだ。おもしろい話なら久しぶりに、ひと口のってやってもいい」
ひょろ松は、えッ、とおどろいて、
「それは、ほんとうですか」
「馬鹿な念をおさなくともいい。なんとなく気がはずんできたでな、そんなことでも、してみたくなった。まア話してみろ。どんなことなんだ」
ひょろ松は、無闇によろこんで、
「こりゃアどうも、ありがたいことになった。駕籠に乗せられた上に、助けてまでくださろうというんじゃアあまり話がうますぎる。これでブツブツ言っちゃ罰があたります」
「やはり、御用の筋なのか」
「へえ、そうなんでございます。わっしは、さっきから相談を持ちかけたくてムズムズしていたんですが、御用の話をするとあなたは嫌な顔をなさるから、それで我慢していたンです。……では、これからお話しますが、もうすこし駕籠が揺れないようになんとかなりませんものでしょうか。舌を噛みきりそうで危くてしょうがない」
「よしよし、この調子ではどうだな」
「結構でございます。すみませんねえ。……実はね、こういうわけなんでございます。府中で手びろく物産廻送《ぶっさんかいそう》をやっている近江屋《おうみや》鉄五郎というのがあります。それにお源というのとお沢というのと齢ごろになる娘が二人いて、先年、姉娘のお源に婿をとることになり、やはり同業の青梅屋《おうめや》の三男坊で新七というのがきまった。どちらがわの親類にも異存がなく、七日ほど前に結納《ゆいのう》をとりかわしたのですが、ところで、大国魂神社の神主《かんぬし》、猿渡平間《さわたりひらま》の甥で、桜場清六《さくらばせいろく》という勤番くずれ。大酒呑みの暴れ者で、府中じゅうの鼻っつまみになっているやつなんですが、こいつが以前からお源に横恋慕をしていて、うぬぼれっ気のあるやつだからてっきり自分が近江屋の婿になれるもンだとひとり合点できめていた」
「ちょっと、おめえに似たようなところがあるな」
「まぜっ返しちゃいけません。……もっとも、桜場のほうでもそううぬぼれていいようなわけがある。というのは、ご存じでもありましょうが、府中の暗闇祭というのは、御神輿の渡御《とぎょ》するあいだ、府中の町じゅうひとつの灯火もないようにまっ暗にしてしまう。もったいない話ですが、年々一度のこの大祭がみだらな娘や若い者の目あてなんで、おたがいに顔が知れずにすむところから真暗三宝《まっくらさんぽう》に乳くりあうという風儀の悪いお祭なんです。お源もその例にもれず行きあたりばったりにちょっと悪戯《わるさ》をしたんですが、運悪くその相手が桜場清六。……こいつはいま言ったようにすれっからしの道楽者で、そんなほうには抜け目のないやつだから、手さぐりでそっとお源の銀の平打ちを引きぬいておいたんです」
「怪しからんやつだの」
「……次の日になって簪の紋を調べて見ると、府中小町なんていわれるお源のものだということがわかったから、桜場はすっかり悦に入ってしまった。かねてお源にはぞっこんまいっていて附け文の二、三度もしたことがあるンだから、てっきり文の返事を手っとり早いところでやってくれたンだと早合点して、自分じゃもうお源の婿になったつもりでおさまり返っていた。……ちょうどそのころ、桜場はよんどころない用事で江戸へ出かけなければならないことになり、一年ばかりしてから府中へ帰ってみると、青梅屋の三男坊が婿にきまって、もう結納までとりかわしたというんだからおさまらない。……俺とお源は去年の暗闇祭にきっぱりとした関係《わけ》になっているンだから、お源の婿はこの桜場清六。強情でも騙りでもねえ、まぎれもないその証拠はこの銀簪、てなわけで青梅屋の店さきへ大あぐらをかいて啖呵《たんか》を切ったンです。……青梅屋のほうじゃ竦《すく》みあがっちまった。結納の翌々日、しかも相手もあろうに乱暴無類の桜場清六だというんだから手も足も出ない。すったもんだのすえ府中の顔役の二引藤右衛門《にびきとうえもん》、これに仲へ入ってもらって三百両という金でおさまってもらうことにした。……桜場のほうは二引に頭のあがらないわけがあって、その場はそれで承知したんですが、お源のことが忘れられないとみえ、小料理屋を飲みまわってグデングデンになったすえ、いまに青梅屋を鏖殺《みなごろ》しにして男の一分を立ててやる。暗闇祭で出来あってちょうど一年目、あんな青二才に見かえられた鬱憤ばらし、その日が生命《いのち》の瀬戸ぎわと思え、なんて凄いことを口走る。これを聞いたのは一人や二人じゃないんです。……酔ったまぎれのたわごとと取れないこともないが、殺気立った気狂いじみた男のことだから、ひょっとすると本当にやりかねないものでもない。……ところで、困ったことには近江屋のほうは、これが氏子総代で、毎年の例で一家じゅうがお渡御の行列にくわわる定めになっていて、どうにものっぴきならない。たぶん、杞憂《きゆう》ではあろうけれど、万一のためにどなたかひとりお差立てねがい、一家の生命の瀬戸ぎわをお護りくださるわけにはまいりますまいか、という鉄五郎からの早文で、それで、こうして出かけて行くところ
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