なンでございます」
 アコ長は、なるほど、とうなずいてから、とど助に、
「ねえ、とど助さん、お聞きになりましたか。人を殺すのに名乗りをかけてからやるやつもないもんだが、しかし、そんな気狂いじみたあぶれ者ということなら、やけっ腹になってどんなことをしでかさないともかぎらない。これは、チト物騒ですな」
 とど助はうなずいて、
「そういうことであれば、マゴマゴしているわけには行かん。お渡御までに行きついて、あるまいまでも、なんとか防ぎをつけてやらねばなるまいて」
「じゃア、ひとつ、急ぎますかな」
「合点でござる。どうやら酒もさめたよう。天馬空というぐあいにやりますか。……ひょろ松どの、今まではノラリクラリとやっていたが、これから大早乗と行きますから舌を噛みきらないように用心していまっせ。これからは、少々手荒いかも知れませんゾ」
 急に威勢がよくなって、アコ長ととど助の二人、息杖を取りなおすとエッホ、エッホと息声をあわせながら韋駄天《いだてん》走り、下高井戸から調布、上田原とむさんに飛んで行く。

   暗闇祭《くらやみまつり》

 大急ぎに急いだが、出がけに油を売ったもんだから府中へついたのは真夜中の子《ね》の刻。
 暗闇祭のはじまる丑《うし》の刻まであと一刻しかない。
 ひょろ松は、さっそく近江屋鉄五郎にあって、江戸から早乗できた挨拶をし、すぐまた二人のいるところへ引きかえして来ると、
「ねえ、顎十郎さん、殺《や》るとするなら、いったい、どんなふうに殺るつもりでしょう」
「そんなことは俺に訊いたってわからねえ。聞けばお渡御のすむ一刻ほどのあいだは、全町まっ暗にしてしまうということだが、そんな暗闇の中で斬ってかかれるわけのものじゃないから、暴れだすとするならお渡御がすんで篝《かがり》がついてからか、ひとの顔が見えるようになった白々明けにちがいない。……また、鏖殺しにするなどと口走る以上、毒でもつかうつもりかも知れないから、たとえ御神酒《ごしんしゅ》にしろ御神水《ごしんすい》にしろ、祭のあいだはいっさい口にしないように言い聞かせておくがいい。……そろそろお渡御がすむころになったら、おめえは桜場に眼を離さないようにしていろ、近江屋の四人のほうは俺ととど助さんとふたりで、間近いところで見張っているから」
 とど助はうなずいて、
「近江屋一家のほうは拙者ひとりで結構。下手に斬りこんでなど来たら、そばに寄せぬうちに拙者がひとひねりにしてしまいます、安心していまっせ」
 これで、だいたい、段取りがきまったので、ひょろ松は近江屋のところへ行って打ちあわせをし、これでいいということになってお渡御が始まるのを待つ。
 そもそも暗闇祭というのは神霊の降臨は、深夜、黎明が発する直前にあるという古礼によるもので、有名なものでは、遠江見附《とおとおみみつけ》町の矢奈比売《やなひめ》天神の闇祭とこの武蔵府中の六所明神の真闇祭《しんやみまつり》。
 この社は武蔵|大国魂神《おおくにたまがみ》を祀ったもので、そのほかに、東西の六座に、秩父、杉山、氷川などの武蔵国内の諸神を奉斎《ほうさい》する由緒のある宮。
 例祭は五月五日で、前祭として五月二日にお鏡磨《かがみとぎ》祭、同三日には競馬《くらべうま》祭、同四日に御綱《おつな》祭がある。
 やがて子の刻間近くなると、道清《みちきよめ》の儀といって、御食《みけ》、幣帛《みてぐら》を奉り、禰宜《ねぎ》が腰鼓《ようこ》羯鼓《かっこ》笏拍手《さくほうし》をうち、浄衣を着た巫《かんなぎ》二人が榊葉《さかきは》を持って神楽《かぐら》を奏し、太刀を佩《は》き胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]《やなぐい》を負った神人《かんど》が四方にむかって弓の弦《つる》を鳴らす。
 さあ、もうそろそろ始まるぞと思っているうちに、動座《どうざ》の警蹕《けいひつ》を合図に全町の灯火がひとつ残らずいっせいにバッタリと消される。
 日暮れまではいい天気だったが、夕方から風が出て雲がかかり、星の光も見えないように薄曇ってしまったので、鼻をつままれてもわからないようなぬば玉の闇。本殿から仮宮《かりみや》までの十町の道には、一間幅にずっと白砂が敷いてあるので、道筋だけはようやくわかるくらいなもの。
 いよいよ丑の上刻となれば、露払い、御弓箭《おゆみや》、大幡《おおはた》、御楯《みたて》、神馬《じんめ》、神主を先頭に禰宜、巫、神人。そのあとに八基の御神輿《ごしんよ》、御饌《みけ》、長持。氏子総代に産子《うぶこ》三十人。太古のような陰闇たる闇の中を粛々と進んで行く。神々《こうごう》しくて身もしまるような心持。
 これが、蟻の這うような擦り足で行くんだから十町ほどの道がたっぷり一刻はかかる。お仮屋に御霊遷がおえたころには、早い夏の夜は明けかかろう。
 三人はお仮屋わきの幕屋の中にひとかたまりになっていると、闇の中を手さぐりしながらそろそろと歩いて来たものがある。圧しつけたような忍び声で、
「そのへんに江戸からおいでなすったひょろ松の旦那がおいでではございませんか。おいでになりましたら、どうかお返事を願います」
「ひょろ松はここにおりますが、そういうあなたは、いったいどなたで?」
 声をたよりにズッと捜《さぐ》りよって来て、ひどく息をはずませながら、
「……あっしは、さきほど近江屋といっしょにお眼にかかった二引藤右衛門でございますが、実は、お渡御の道すじに誰か死んでいるようなんで……」
「えッ」
「それも一人や二人じゃありません。五間ぐらいずつ間をおいて、四人まで俯伏せになって倒れているんでござんす。もしや近江屋の一家が殺られたンじゃないかと思いまして、ちょっとそれを、お耳に入れに……」
 ひょろ松は、頓狂な声をあげて、
「藤右衛門さん、そ、それは確かなんでしょうね」
「あっしがさわって見たところでは、確かに死んでおります」
 顎十郎は、口をはさんで、
「まっ暗がりでご挨拶もなりません。あっしは、ひょろ松親分の下廻りの阿古の長太郎というものですが、あなたがおさわりになったというのは、いったい、いつごろのことなンでございますか」
「いつもなにもありゃアしません、ほんのつい今しがたでございます」
「ひとが倒れているというのを、どうしておわかりになりました」
「あっしは後《あと》かため殿《しんが》りの役ですから身内のもの七人と列について、いちばん最後から行きますと、本殿を出て、五丁ばかりも行ったと思うころ、浄杖《きよめづえ》の先になにかさわるものがありますンで、なんだろうと思って捜りひろげて行くと、手ごたえの柔かい、なにかひどく大きなもの。御物嚢《おものぶくろ》でも落して行ったのかと思って、かがみこんで手でさわって見ますと、俯伏せに倒れている人間の身体。……これは、と驚いて、すっと捜って行きますと、盆の窪にのぶかく矢が立っています」
「これは、どうも意外」
「そういうふうにして順々に四人。……どれもみな、ぼんのくぼのところに、同じように矢が……」
「四人とも、ぼんのくぼに?」
「へえ、そうなんでございます」
 顎十郎は、急にひきしまったような声になって、
「その道すじに篝火とか松明《たいまつ》とか、そんなものがありましたか」
「滅相もない。古式厳格の暗闇祭。なんでそんなものがございますものか。まっ暗もまっ暗、真《しん》の闇《やみ》でございます」
 顎十郎は、なにかしばらく考えていたが、唐突に口を切って、
「ねえ、ひょろ松の旦那、それからとど助さん、不思議なことがあるもんだ、弓というものは相当な距離がなければ射てぬもの。それをですな、鼻をつままれてもわからないようなまっ暗な中で、一人ならず四人まで、ぼんのくぼを射抜くなどということが出来るものでしょうか」
 とど助が、引きとって、
「いやア、アコ長さん、人間の眼ではとてもそんなことは出来ませんな。殺された四人が近江屋一家の者だとしたら、いよいよもって奇怪。なぜかと言って、三人ならびになって隙間もなく目白押しをして行く中から、この暗闇の中で、必要な人間だけえらんで射ころすなんぞということは、まずもって絶対に不可能」
「いかにもおっしゃる通りだ。御霊遷がすむまで待つよりほかはないが、殺されたのが近江屋の四人ならば、こりゃア、ちょっと物騒です」
 ひょろ松は、せきこんで、
「そんなことばかり言ってたってしょうがない。現実に四人までそんなふうにして殺されているんだから、いずれにしてもなにかの方法で殺ったのに相違ない。近江屋の一家に隠れた悪業《あくごう》があって、大国魂《おおくにたま》さまが罰をあたえるためにお神矢《かみや》を放ったというわけでもありますまい。いったいどんなふうにして殺ったものでしょう」
 アコ長は、いつものヘラヘラ調子になって、
「木曽あたりの猟人《かりうど》には、夜でも眼の見える猫眼梟眼《ねこめふくろめ》というのがあるそうだ。たぶん、そんな手あいでも殺ったかも知れんな」
 今まで黙っていた藤右衛門、出しぬけに膝をうって、
「お話の最中ですが、猫眼というなら、そういうのがこの町に一人いるんでございます」
 顎十郎は息を呑んで、
「えッ、それは、いったい、どういう男なんでございます」
「近江屋の分家で黒木屋五造というごく温和《おとな》しい男なんですが、生れつき夜眼が見え、まっ暗がりの土蔵なんかでも、龕灯《がんどう》いらずに物もさがせば細かい仕事もするという奇態な眼を持っているので、この町じゃ誰も本名を呼ばずに猫眼、猫眼といっております」
「ほほう、それで、その猫眼は御渡御の行列についているんですか」
「いま申したように近江屋の甥ですから御神事に外れるということはありません。今年は、六所さまの御物の金銅弭黄黒斑漆《きんどうやはずきくろまだらうるし》の梓弓《あずさゆみ》を持ってお伴しているはずでございます」
「猫眼が梓弓を……」
 と、ひとり言のように呟いてから、アコ長、言葉の調子を変えて、
「つかぬことをお伺いするようですが、近江屋の分家というのは、まだほかにもあるのですか」
「いいえ、分家にも親類にも黒木屋だけなんでございます」
「ははア、なるほど」

   証拠

 それから、半刻。
 ようやく御霊遷の儀がおわると、また警蹕を合図に、お仮屋、御本殿御渡御の道すじの篝火はもちろん、全町いっせいに灯火がつけられる。今までの暗闇にひきかえ、今度はまっ昼間のような明るさ。夜もあけかかってきたと見えて、梢の上がほのぼのと白くなる。
 それッ、というので、ひょろ松を先頭にしてアコ長、とど助、藤右衛門の四人が白砂を蹴って駈けだす。
 行って見ると、なるほど、藤右衛門の言った通り、本殿のほうから五六間おきに一人ずつ、近江屋鉄五郎、お源、お沢、お源の許婚者の青梅屋の新七という順序で、いずれも鷹の羽朱塗のお神矢で深くぼんのくぼを射られ、水浅黄の水干の襟を血に染めて俯伏せになって倒れている。
 顎十郎は、かがみこんで死体をひとつずつ念入りに検めていたが、そのうちにのっそりと立ちあがって、藤右衛門のほうへ振りかえり、
「……ご覧の通り、どの死体も、見事に必殺の急所を射抜かれています。夜眼、猫眼はとにかく、よほどの弓の上手でなければ、こういう水ぎわ立ったことは出来ぬはず。……それで、なんですか、藤右衛門さん、その猫眼の五造という男は弓でもやるのですか」
「へえ、いたします。弓と申しても楊弓《ようきゅう》ですが、五月、九月の結改《けっかい》の会には、わざわざ江戸へ出かけて行き、昨年などは、百五十本を的《い》て金貝《かながい》の目録を取ったということでございます」
「なるほど。……それで桜場清六のほうは?」
「このほうは、大和流の弓をよくいたし、甲府の勤番にいたころ、むやみに御禁鳥を射ころしたので、そのお咎めでお役御免になったというような話も聞いております」
 アコ長は、突っ立ったままで、またしばらく考えていたが、バラリと腕を振りほどくと、
「藤右衛門さん、この土地では、あなたが繩を預かっていらっし
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