ゃるンだから、あなたを差しおいて、われわれがどうこうするというわけには行かない。わたしには少々存じよりもありますが、これはやはりあなたにおまかせ申しましょう」
藤右衛門は、手を振って、
「いやア、そのご斟酌《しんしゃく》には及びません。以前は江戸一の捕物の名人、仙波さんといえば、あっしらにとってはまるで神様のようなもの。その方がわざわざお出でくださったというのに繩張も管領もあるもんじゃありません。どうか、ご存分に」
「ご挨拶で痛み入ります。そういうことならばおぼしめしに従いますが、ご承知の通り、役儀の表で調べるというわけには行かない。いわば、ひょろ松の代理。そのへんのところもお含みおき願います」
「じゅうぶん、承知しております」
「では、あなたのお番屋を拝借することにいたしますが、早速ですが桜場清六と黒木屋五造をお引きあげくだすって、五造が背負っていた胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]と、桜場の弓矢もついでにお取りよせ願います」
「かしこまりました」
頃あいをはからって、アコ長、とど助、ひょろ松の三人が番屋へ入って行くと、五造と桜場のふたりを中仕切のある板の間へべつべつに控えさせてある。
桜場清六のほうは、赭ら顔の大髻《おおたぶさ》。眼尻が吊しあがって、いかにも険相な面構えなのに、黒木屋五造は、色白のおっとりとした丸顔で、田舎の大店の若旦那にふさわしいようす。気も動顛した体で血の気をなくし、差しうつむいてブルブルと顫えている。
顎十郎は、胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]を持ちながら五造の前にあぐらをかき、
「おい、五造さん、胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]に入っていたお神矢の数は十二本。それが減って八本になっているのはどういうわけなんだね」
五造は、はッ、と身をすくませて、
「どういうわけでございますか、いっこうに存じません」
「そんなのだごと[#「のだごと」に傍点]を吐いていたってしょうがない。おまえさんは鉄五郎のたったひとりの甥で、近江屋の跡が絶えれば近江屋の身代はいやでもおまえさんのものになる。……桜場清六が近江屋一家を鏖殺しにしてやるなどとふれまわってるのに引っかけ、夜眼のきくのを幸いにお神矢で鉄五郎以下四人を射ころし、それを桜場に塗りつけようなんていうのはひどいじゃないか」
五造は血相かえて膝行《にじり》だし、
「と、と、飛んでもない。なんでわたくしがそのような大外れたことを致しますものですか。仮に、わたしにそんな心がありましたとしても、自分が背負っている胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]の矢なぞは使いはいたしません。これが取りもなおさず、わたしの仕業でないという証拠。……察しますところ誰かわたしに人殺しの罪を塗りつけようため、暗闇にまぎれてわたくしの胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]から矢を盗みとったものと思われます」
アコ長は、頭を掻き、
「やア、これは一言もない。そう言われれば、それに相違ない。これはちょっとわからなくなってきた」
ひどく大真面目な顔で首をひねっていたが、急に声を低め、
「こういっちゃ失礼だが、あなたは田舎のひとに似合わず、珍らしくハキハキと物をいいなさるようす。こういう事件には、どうでもあなたのような方にあれこれと口添えをして貰わなければなりません。……ねえ、五造さん、今朝の件について、あなた、なにか心当りはありませんか。なんでも構わねえから、気のついたことがあったら、言ってみてください」
「……お訊ねがなかったら、わたくしのほうから申しあげようと思っていたんですが、実は、ちょっと妙なことがございました」
「ほほう、それは、どんなことです」
「……わたくしが御物の弓を持ち、近江屋一家の七八間あとから歩いてまいりましたが、どういうわけなのか、数ある水干《すいかん》のうち、近江屋の四人の襟もとだけ、ボウッと、こう、薄明るくなっているんでございます。奇妙なこともあるもんだと思っておりますうちに、とうとうこんなことになってしまって……」
「それは、いったい、なんでしょう」
「さあ、手前なぞには、いっこう、どうも」
アコ長は、藤右衛門のほうを向いて、
「今お聞きのようなわけですから、どうか、土蔵のようなまっ暗な場所へ近江屋一家四人の死体をお移し願いましょうか」
へえ、かしこまりましたで、藤右衛門は立って行く。
下ッ引に桜場と五造の袂を取らせ、手燭を先に立ててアコ長以下三人が土蔵の中へ入って行くと、土蔵のまんなかに蓆を敷いて四人の死体が俯伏せにならべてある。
「じゃア、どうか土扉《つちど》をしめて戴きましょう」
バタバタと土扉がしまって土蔵の中はまっ暗闇。そのとたん、不思議や、四人の水干の襟のあたりで同じような薄青い燐光がボッと光る。
「いや、よくわかりました。どうか土扉をおあけください」
土蔵の中が明るくなると、アコ長は、
「ねえ、藤右衛門さん、今度の御神饌《ごしんせん》に生烏賊《なまいか》があがりましたろう」
「さようでございます。近江屋の廻送で、わざわざ越後から早駕籠で取りよせたということで」
「四人の襟を嗅いでみると、いかにも生ぐさい。これは暗闇の目じるしにするために四人の水干の襟に烏賊の腸汁《わたじる》を塗ったンです」
「へへえ、そういうわけでございましたか」
アコ長は、五造にむかい、
「五造さん、あなたはこの四人の襟もとが光るのを、たしかにごらんになったのですね」
「さようでございます、確かに見ました」
アコ長は、それを聞き流してひょろ松に、
「これで、もう話はわかったようなものだ。ひょろ松、構わねえからふン縛っちまえ」
合点承知、とひょろ松が立ちあがって、ムンズリと坐っている桜場のほうへ詰めよって行くと、アコ長は、手でおさえ、
「おいおい、見当違いしちゃいけねえ。下手人はそっちじゃねえ、この猫眼のほうだ」
ひょろ松は、驚いて、
「ご冗談。……猫眼というのは夜眼のきくもの。なにもそんな手数をかけて烏賊の腸汁なんぞ塗ったくる必要はねえじゃありませんか」
アコ長は、それには答えず、いきなり五造の手を取って、
「たいそう巧くたくらんだが、訊きもしねえことをすこし喋りすぎたようだ。暗闇なればこそ烏賊は光るが、明るいところでは見えねえはず。おまえさんは猫の眼玉でまっ暗闇でも黄昏ほどの明るさで物が見えるという。そういう眼が烏賊汁の光るのが見えるか。……天に口あり人をもって、も古い譬えだが、よけいなことを喋ったばかりに自分でボロを出した。……五造、どうだ、恐れ入ったか」
ひょろ松は、野郎ッと言いながら、五造に飛びかかって押えつけ、
「なるほど、こいつア企らんだ。よく見えるのをわざわざ烏賊汁なんぞ塗りつけ、桜場になすりつけるために、逆手の逆手で自分の胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]の矢をつかうなんてのは面《つら》に似気《にげ》ない土性ッ骨の太いやつだ」
「畜生ッ」
と、恐ろしい悪相になって睨《ね》めあげる五造の顔を、アコ長はへへら笑いをしながら睨めかえし、
「妙な面をするな。こんど生れ変るときはもっと舌を短かくして貰って来い。桜場に引っかけて、たいそうなことを企らんだが、気の毒だが桜場は御渡御の前に近江屋一家のそばへも寄っちゃいないのだ。すったもんだと言うなら、おめえの手を嗅いでみようか。烏賊腸の臭《にお》いでさぞ生臭せえこったろう」
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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