変ったことがありました、こういう話なンです。……こんど大和屋《やまとや》が名題に昇進した披露をかねて立花屋の『鯵売』のむこうを張って、常磐津文字太夫《ときわずもじたゆう》、岸沢式佐《きしざわしきさ》連中で『小鰭の鮨売』という新作の所作事を出すことにきまりました。これは、頭取と幕内と大和屋の三人だけの内証《ないしょ》になっているンですが、どこからもれたのかこちらよりさきに菊人形にされてしまい、中村座では大きに迷惑をしているンで……」
「ふむ」
「……ところで、もうひとつ耳よりな話があるンです。このひと月ほど前から市中の女髪結《おんなかみゆい》や風呂屋で、こんど大和屋が小鰭の鮨売の新作所作事を出すについて、ようすを変えて鮨売になり、市中を呼び売りして歩く。うまく三津五郎だと見ぬいたひとには家紋入りの印物《しるしもの》をくれるという噂が立っているンです。……金春町《こんぱるまち》のお兼の女髪結へ寄って見ましたが、なるほどたいへんな評判。髪を結いに来ている娘や芸者が髪などはそっちのけでズラリと格子窓のそばへ並び、鮨売が来たらその中から大和屋を見つけて印物をもらうのだとたいへんな騒ぎをしておりま
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