顎十郎捕物帳
かごやの客
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)無銭飲《ただのみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)繩|暖簾《のれん》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]
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   お姫様

「なんだ、なんだ、てめえら。……客か、物貰いか、無銭飲《ただのみ》か。ただしは、景気をつけに来たのか。店構えがあまり豪勢なんで、びっくりしたような面をしていやがる。……やいやい、入るなら入れ、そんなところに突っ立ってると風通しが悪いや」
 繩|暖簾《のれん》をくぐったところをズブ六になった中間体が無暗にポンポンいうのを、亭主がおさえておいて、取ってつけたような揉手《もみで》。
「おいでなさいまし。お駕籠屋さんとお見うけしましたが、景気をつけに来てくださいましてありがとうございます。……酒は灘《なだ》の都菊《みやこぎく》、産地《もと》仕入れでございますから量はたっぷりいたします。なにとぞ嚮後《きょうこう》ごひいきに、へい」
 経文読みの尻あがり。
 結髪《かみ》は町家だが、どうしたって居酒屋の亭主には見えない。陽やけがして嫌味にテカリ、砂っぽこりで磨きあげた陸尺面《ろくしゃくづら》。店の名も『かごや』というのでも素性が知れる。
 神田柳原、和泉橋《いずみばし》たもと、柳森稲荷に新店が出来たから、ひとつ景気をつけに行こうではごわせんか。祝儀だけよぶんに飲めましょう。拙《まず》くいっても手拭いぐらいはくれます。ちょうど、手拭いを切らして弱っていたところで。……それにしても、きのうの『多賀羅《たから》』という新店は豪勢でござったのう。祝儀は黙って五合ずつ。お手もとお邪魔さまと言って差しだしたのが、大黒さまのついた黄木綿の財布。飲むなら新店にかぎりやす。……で、捜しあてて来たやつ。
 もとは江戸一の捕物の名人、仙波阿古十郎、駕籠屋と変じてアコ長となる。
 相棒は九州の浪人|雷土々呂進《いかずちとどろしん》。まるで日下開山の横綱のような名だが、いずれ、世を忍ぶ仮の名。これもあっさり端折って、とど助。
 居酒屋の新店をさがして歩くようでは、どのみちあまりぱっとしない証拠。
 辻駕籠をはじめてからもう半年近くになるが、いっこう芽が出ないというのも、いわば因果応報《いんがおうほう》。アコ長のほうは、先刻ご承知の千成瓢箪《せんなりびょうたん》の馬印《うまじるし》のような奇妙な顔。とど助の方は、身長抜群《みのたけばつぐん》にして容貌魁偉《ようぽうかいい》。大眼玉の髭ッ面。これでは客が寄りつきません。
 江戸一の捕物の名人ともあろうものが、開店祝いの祝儀酒を狙うまでにさがったってのも、またもって、やむを得ざるにいずる。
 亭主は、しゃくった尖がり面をつんだして、
「お肴はなんにいたします。鰹《かつお》に眼張《めばり》、白すに里芋、豆腐に生揚、蛸ぶつに鰊。……かじきの土手もございます」
 前垂に片だすき、支度はかいがいしいが、だいぶ底が入っている体で、そういうあいだにも身体を泳がせながら、デレッと舌で上唇を舐めあげ、
「ひッ。……今も申しあげましたように、なにによらずひと皿だけお添えしやす。……ひッ、どうか、ご遠慮なく、ひッ」
 とど助は、頭をかいて、
「わア、それは、誠に恐縮」
 年嵩《としかさ》な中間が、
「……友達がいにあっしからご披露もうします。この亭主は六平と申しましてね、ついこのごろまで藤堂《とうどう》さまのお陸尺。つまりあっしらとは部屋仲間なンでございますが、上州の叔父てえのがポックリと死《ご》ねて、大したこともありませんでしょうが、ちっとばかりまとまったものが残ったんで、スッパリと陸尺の足を洗い、ここを居ぬきで買いとって造作を入れ、まア、ごらんの通りの居酒屋をはじめたンで、あっしらは、まアこうして熨斗《のし》のついた暖簾の一枚も奮発《ふんぱつ》して景気をつけに来ているンでございます。……ねえ、お仲間さん、実はこの店を、きょう一日あっしら五人で買い切ったんでござんす。大名であろうと国持《くにもち》であろうと坊主、御高家、浪人者。……ここへ土下座をしてお飲ませくださいと頼んだって、まっぴらごめんと突っぱねやす。恩にきせるわけじゃねえが、お見受けするところお仲間さんだから、それで、祝儀をつけてもらっているンです。同業|相憫《あいあわれ》む、てえ諺もありますからねえ。なんと、そんなもんでしょう。……ねえ、お仲間さん、そういう訳なんだからそんなところに引っこんでいねえで、どうかこっちへやって来ておくんなせえ」
「兄貴のいう通りだ、さあさあ、こちらへ。こちらへ」
 中間や陸尺やらが五人。欅《けやき》のまあたらしい飯台《はんだい》をとりまいて徳利をはや三十本。小鉢やら丼やら、ところも狭《せ》におきならべ、無闇に景気をつけている。
 アコ長は、そちらへ愛想笑いをしながら、
「ねえ、とど助さん、みさんが[#「みさんが」はママ]ああおっしゃってるから、お辞儀なしにあっちへ移ろうじゃありませんか」
「いかにも、これもなにかの因縁。大慶至極《たいけいしごく》でござる。そういうご趣向なら、いっそ表戸をしめてしまって、朝までとっくりとやってはいかがなもんでしょう」
「いよう、軍師、軍師!」
「それがいい、それがいい」
 さっきの冗《くど》いやつが先に立ってバタバタと表戸をしめてしまう。
 さあ、これで邪魔が入らないとばかりに、中間や陸尺のあいだへ割りこんで、たちまち差しつ押えつ、ふたりとも引きぬきになって湯呑で大兜《おおかぶと》。
「さア、ドシコと注ぎまッせ、そんなことでは手ぬるい手ぬるい」
 アコ長も、負けず劣らず、
「ご亭主、ご亭主。継立《つぎた》て継立て、銚子のかわりを三枚肩《さんまい》でお願いしやす」
 たまらなくなったと見え、亭主も一枚くわわって、注げ注げ、奴《やっこ》、で、一緒になって唄うやら騒ぐやら大乱痴気《おおらんちき》。
 さっきの年嵩の中間、冗《くど》くなる酒だとみえ、飯台に片肱を立てながら、
「なア、六平、ここにいるこの五人。それから、すこしお長えのと髯もじゃのふたりのお仲間さん。こうして一杯の酒も呑みあったからにゃア、血をわけた兄弟も同然、そうだろう、六平」
「そうだとも、そうだとも。芳太郎、お前のいう通りだ。まア、一杯飲め」
「おう、その盃を俺にくれるというのか。ありがてえね。……ありがた山のほととぎす、と、いいてえところだが、その盃は貰わねえよ」
「くだらねえことを言わねえで、まア飲め。……それとも、俺のさした盃が気に入らねえというのか」
「ああ、気に入らねえね、気に入りませんよ。手前のような水くせえ野郎の盃は死んだって受けてやらねえんだ」
「また始めやがった。手前は酔うとくどくなる。いってえ、なにが気に入らねんだい」
 芳太郎という中間は、いよいよ辰巳上《たつみあが》りになって、
「聞きたきゃ聞かせてやろう。曰《いわ》く因縁《いんねん》故事《こじ》来歴《らいれき》。友達がいに、ここへズラズラッと並べてやるから耳の穴をかっぽじって、よく聞いていねえ。……手めえの叔父というのは、武蔵国新井方村《むさしのくにあらいかたむら》の水呑百姓。それが、近ごろ死《ご》ねまして、ちょっとまとまったものを貰ったから、それを資本《もとで》にここで開店いたしましたこの居酒屋、チチン。……へッ、嘘をつけ、唄の文句ならそれでもいいだろうが、そんなチョロッカなことじゃ世間は誤魔化されねえ。……おい、六平、芳太郎さんの眼は節穴《ふしあな》じゃアねえよ。まかり間違ったらひとさまの生眼も引きぬこうというお兄哥さんなんだ。そんなことで蓮台《れんだい》に引きのせようたって、そうはいかねえや。……つもっても見ねえ、この通り羽目は檜《ひのき》の白磨《しろみが》きにして、天井は鶉目《うずらもく》、小座敷の床柱には如輪木《じょりんもく》をつかい、飯台は節無し無垢《むく》の欅ぞっき、板場はすべて銅葺《あかぶき》にして出てくる徳利が唐津焼《からつやき》。……造作だけを見まわしても、どう安くふんでも三百両。……多寡が上州の水呑百姓。喰うものも喰わずに三代かかって溜めこんでも、これだけのものは残せねえ。……なんだなんだ、今さららしくギョッとしたような面をするねえ。……実は、芳太郎、宇津谷峠《うつのやとうげ》の雨やどり、この三百両は按摩《あんま》を殺して奪《と》った金だといやア、おお、そうかと嚥みこんでやる。子供をあやすんじゃあるめえし、上州の叔父が死《ご》ねまして。……ちえッ、笑わせるにもほどがある。手前のような野郎は、嚮後《きょうこう》、友達だなんぞと思わねえから、そう思え」
 六平は、いつの間にか片だすきをはずして双膚《もろはだ》ぬぎ、むかしの地を丸出しにして床几のうえに大あぐらをかき、毛むくじゃらの脛をピシャピシャたたきながら、
「こいつアやられた。そこまでお見とおしたア知らなかった。……やいやい、芳太郎、まア、そうご立腹あそばすな。悪気でしたわけじゃねえ。ちょっと曰くがあって、それで出放題《でほうだい》なことを言ったんだから、まア、勘弁してくんねえ」
「勘弁してくれというなら勘弁しねえこともねえが、じゃアその曰くというのを聞こうじゃねえか。……なア、みんな、こりゃアいちばん聞かねえじゃおさまらねえところだ、そうだろう」
「そうだとも、そうだとも」
「やい、六平、吐《ぬ》かさねえと、この屋台へ火をつけて焼《も》やしてしまうからそう思え」
 顎十郎は、とど助のほうへ振りかえって、
「これは、だいぶ面白くなってきました」
 とど助はうなずいて、
「さんざ無代《ただ》で飲食したうえ、こんな余興まで入るとは思いませんでした。いや、甚《え》ッとおもしろかです」
 六平は、急にヤニさがって、
「どうでもというなら聞かせてやる。そのかわり、腰をぬかさぬようにそのへんの蝶番をしっかりと留めておけ。……なにを隠そう、俺の金主というのは藤堂さまの加代姫さま。……ひッ、けだものどもめ、なんとも胆《きも》がつぶれたか。……これ六平や、そなたは路考《ろこう》に生写し、好《す》いたらしいの総浚い。陸尺などにはもったいない。身分に上下のへだてがなければ、婿がねにして床の間へ、置物がわりにすえておき、朝から晩まで眺めようもの、ままならぬ浮世が恨めしい。金はどれほどでも出してやるから手近なところで店でも持ち、ゆくすえ長く垣間見《かいまみ》させたもいのう。……と、いうわけなんだ」
「気味のわるい声を出しゃアがる。……このスケテン野郎、手前の面が路考に似てると。飛んでもねえことぬかしゃがる。どう見たって、塩釜《しおがま》さまの杓子面《しゃもじづら》。安産札《あんざんまもり》じゃねえが、面のまんなかに字が書いてねえのが不思議なくらいだ。……加代姫さまといやア、大名のお姫さまの中でも一といって二とさがらねえ見識《けんしき》の高いお方。毎朝、手洗の金蒔絵の耳盥《みみだらい》をそのたびにお使いすてになるというくらいの癇性。殿さまがお話にいらっしゃるにも前もって腰元を立ててご都合をうかがうという。その加代姫さまが、てめえのような駕籠の虫に惚れるの肩を入れるなんてことは、天地がでんぐり返ったってあろうはずがねえ。黙って聞いてりゃいい気になりゃがって飛んだのだごと[#「のだごと」に傍点]をつきゃあがる」
 六平は、へへん、と鼻で笑って、
「そう思うのが下郎根性。むこうは大々名のお姫さま、こっちはいかにも駕籠の虫だが、恋をへだてる堰《せき》はねえ。こんな杓子面でも恋しくてならねえと言われます。足駄《あしだ》をはいて首ったけ。俺のいうことならどんなことでもうんと首が縦に動くのさ。やい、やい、色男にあやかるようにこの面をよく拝んでおけ」
 芳太郎は、ひらきなおって、
「おお、そうか。加代姫さまがそれほどお前に肩を入れ
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