んとかならんもんだろうかの」
顎十郎は、ニヤニヤ笑いながら、
「こりゃア、逃れる道はありませんね。まアまア観念して藤波に威張られていらっしゃい。……だから、あのとき、あたしがよせよせ、ととめたのにあなたが聞き入れないものだから、……それはまア、大したことはないが、そういうのっぴきならない情況で、おまけに藤波の掛りというのであれば、否でも応でも加代姫は突きおとされる。……気の毒なもんですねえ、とど助さん」
「さよう、いかにも気の毒。なんとかならんもんでしょうかなア。袖すりあうも他生の縁。あんた、ひと肌をぬいでつかわさりまッせ。加代姫だけならいいが、三十二万石に瑕がつくことですけん、なア、アコ長さん」
顎十郎は、組んでいた腕あぐらをバラリと振りほどいて、
「おっしゃる通り、いかにもこれは因縁ごと。よろしい、なにをかやっつけて見ましょう。相手が藤波というのであれば、これは久しぶりの咬みあい、まんざら気が乗らないわけもない。……『かごや』に加代姫が出むいて来たから、加代姫が殺ったのだと考えるのは、あまりチョロすぎる。加代姫が帰った後で、だれか別な人間がやって来てそいつが殺したのだとなぜ考えちゃいけないんです。……あたしの推察では、たしかにだれか加代姫の後に来たやつがあったんだと思う。……要するに、これから『かごや』へ出かけて行って、そいつがやって来たというたしかな証拠をさがし出しゃアいいわけなんです。とにかく、その前に加代姫にあってしっかりと念を押しておくのが順序だが。……ひょろ松、加代姫はいまどこにいるんだ」
「お屋敷に押しこめられているそうです」
九つの盃
叔父の庄兵衛から借りた五ツ紋に透綾《すきあや》の袴。服装だけはどうにか踏めるが、頭は駕籠屋。前分髷《まえわけまげ》が埃で白くなっている。
トホンとした顔を怖れげもなく振りあげて、透き通るような加代姫の顔をマジマジと眺めながら、
「いまも申しあげましたように、くどいようだが、日本国じゅうの人間がみなあなたの反対についても、手前だけはあなたの味方です。なにしろ、事情はたいへんあなたに不利なのですから、このままだと、どうしたってあなたが下手人になる。二進《にっち》も三進《さっち》も行かなくなっているんですが、あなたさまが裏の事情さえ話してくだされば、手前がかならず反証をあげてこの急場からお救いもうします。なんて言うと恩におきせするようだが、決してそんなんじゃない。いわばこれが手前の道楽。……手前の身状《みじょう》については、叔父の庄兵衛から申しあげたはずですが、なんと言いますか、ちょっと文殊菩薩《もんじゅぼさつ》の生れかわりとでもいったぐあいで、手前がひと睨みくれますと、どういう入りんだ事がらでも即座に洞察《みぬ》いてしまう。実にどうも大したものなんです。ひとつ手前の腕を信用してありようを、ざっくばらんに話していただきたいもんですが」
加代姫は、瞬《またた》かない凄いような美しい眼で顎十郎の顔を見かえしながら、
「それで、わたしに、なにを言えというの」
顎十郎は、閉口《へこ》たれて、
「やア、どうも弱った。さっきからおなじような押し問答。……金をやるのはいいとして、来いといえばあんな下司ばったところへ出かけて行かれたのは、どういう因縁によることなのか、それをお話くださいと申しているのです」
「それは、言われませぬ」
「あなたが、ひと殺しの汚名をきても」
「それは、もう覚悟しております」
「加代姫さま、あなたもずいぶん強情だ。権式高いということは、かねて噂にきいておりましたが、これほど堂に入っているとは思わなかった。……それほどまでのお覚悟でしたら、このうえお願いもうしても無駄。あきらめて引きとりますが、最後に、ひとこと申しあげたいことがあります」
「…………」
「あなたには意外なことかも知れませんが、六平が死んだというのは嘘で、虫の息ながら、まだ息が通っているんです。舌が爛《ただ》れてものを言うことも出来ませんし、無筆だから字で書くことも出来ないから、ほかの人間では手におえないが、手前だけはそいつにものを言わせる方法を知っている。どういうことをするかと申しますと、こちらで、いろは四十八音をのべつ幕なしに唱えかえして、これと思う音のところでうなずかせる。……あなたと六平のあいだにどういう経緯があったか、訊き出すことはわけも造作もないんです。……ところで、こいつをやるとあなたが隠しておきたいことが、いあわす役人や小者どもに明白に知れてしまう。あなたがおっしゃってさえくださるなら、これは手前とあなたのあいだだけのこと、どのようなことであろうと断じて手前はもらしません。……いかがです、加代姫さま」
加代姫は、誦経《ずきょう》でもするように眼をとじて、顎十郎の言うことを聴いていたが、静かに眼をあけて顔をうつむけると、
「縁もゆかりもないこのわたしを、それほどまでに劬《いたわ》ってくれるそなたの親切。身に沁みてうれしく思います。六平が生きているというのはそなたの嘘。……そなたの掛引きに乗って言うのではない、ひとえにそなたの真情に報《むく》いるため。……わたしの恥、ひいてはお父上の恥辱。これだけは死んでも言うまいと覚悟していたのですが、つつまずにそなたへ聞かせよう」
蘆の葉が風にゆらぐように、ソヨと肩をそよがせ、
「去年《こぞ》の春から父上のお手もとに召しだされた三枝数馬《さえぐさかずま》という小小姓《こごしょう》。いかにも愛らしく美しいものだによって、ときどき召しよせて香遊びの相手などいたさせているうちに、岩根の下ゆく水、たがいの心が通うようになりました。……お父上は文教のお心深く、諸事わけてもご厳格。このような始末がお耳にはいったら、数馬の生命はないもの。今年の節分の夜、いつものようにわたしの部屋にいるところへ鬼を払うとて前ぶれもなく、とつぜん父上がお渡りなさいました。腰元の注進で、数馬はどうにか部屋の長持の中へ押隠したが、それさえようよう。きわどい瀬戸ぎわで覚られることだけはまぬがれましたが、父上がおもどりになったあとで、急いで長持の蓋をはらって見ますと、数馬はもう息絶えて冷くなっている。そのときの、わたしの驚きと悲しみ……」
顎十郎はうなずいて、
「……なるほど、そういうわけだったんですか。数馬さんとやらの死体の処置に困って、六平にそっとかつぎ出させ、このへんならまず皀莢河岸《さいかちがし》、重石《おもし》でもつけて濠の深みへ沈めたというわけ。よくあるやつですな。そのくらいのことなら、なにもそう秘し隠されるには及ばなかった。……よくわかりました。そういうことならもう大丈夫。明日といわず今日じゅうに、かならず真の下手人の当りをつけてごらんに入れますから、大船に乗ったつもりでいらしてください。……それについて、加代姫さま、つかぬことを伺うようですが、あなたは、だれかに恨みをうけるような覚えはありませんか」
加代姫は急に咽《せ》きあげ、その涙のひまひまに、
「恨まれる覚えはたったひとつある。あんな無惨な死に方をさせたこのわたしを、あの世とやらで、数馬が、きっと恨んでいましょう」
「ほほう、それは耳よりな話ですな。……ながながとくだらないことばかりをお喋りしてさぞお耳ざわりだったことでしょう。手前はこれから『かごや』へ行って、とっくりと検べあげ、夕方までに吉左右《きっそう》をお知らせいたします、では、ごめん」
和泉橋の北づめの藤堂の屋敷を飛びだす。
橋を渡ったむこうがわが『かごや』。急ぐようすもなくのそのそと和泉橋を渡り、のっそりと『かごや』のなかへ入って行く。
あげ座敷の上框に腰をかけていた藤波友衛。
「いよう、これは仙波さん、絶えて久しいご邂逅。どうです、駕籠屋はもうかりますか」
「どなたかと思ったら藤波先生。あいかわらずご勝健の体でなにより。それはそうと、今度の件ですがね、ありゃア加代姫が殺ったのではありません。加代姫が引きとってから、この『かごや』へやって来たやつの仕業なんです」
藤波は、眼ざしを鋭くして、
「相もかわらずのあなたの出しゃばりにも困ったものだ。駕籠屋は駕籠屋相応のことをしておればいい。よけいなおせっかいはご無用です」
「などと言いながら、その実、訊きたいのでしょう。あなたの顔に、ちゃんとそう書いてある」
藤波は、蒼沈んだ額にサッと怒りの血のいろを刷いて、
「仙波さん、ふざけるのはいい加減にしておきなさい」
「おや、ご立腹ですか。お怒りになるならお怒りになってもかまわないが、あたしの言うことをきかずに加代姫などを突きおとしたら、あなたは生涯うだつのあがらないことになりますぜ。『野伏大名』のときの例もあるでしょう、突っぱらずに、あたしの言うことを聴いてください。あなたの鼻をあかそうの、あたしがこれで功名をしようの、そんな気は毛頭《もうとう》ないんだから」
藤波は、唇を噛んでうつむいていたが、
「あたしも加代姫が殺ったとは、どうも納得の行きかねるところがあって、先刻からここで悩んでいたんです。……加代姫が帰ってからこの『かごや』にやって来たやつが下手人だという、あなたの推察《みこみ》はいちおう穿《うが》ったところがある。そこまではわたしも気がつきませんでした。……ねえ、仙波さん、あなた、かつぐんじゃありますまいね。あなたがそうおっしゃられる以上、なにかたしかなお推察があってのことでしょうが」
「藤波さん、よく折れてくだすった。あなたがそんなふうにおっしゃるなら、あたしも正直なところを申します。……ここへ入って来るまで、実は、あたしにもなんの当てもなかった。ところで、こうやって飯台のうえを眺めてるうちに、ここへやって来て六人を殺したのはいったい誰だったか、はっきりとわかったんです」
「えッ、飯台を眺めて、……やって来たやつは誰かと……」
「ご所望《しょもう》なら名前までいうことが出来ます。……加代姫が帰ったあとでここへやって来ましたのはね、和泉守の小小姓で三枝数馬という男です。……こいつは、加代姫にちょっとよくないことをしたんで、六平たちに簀巻《すま》きにされて皀莢河岸に沈められた。六平のほうじゃ死んだと思っていたんだが、濠の中で簀がとけて数馬はいのちが助かった。六平がここへ新店を出したという話をきき、怨みのとけたような顔をしてやって来て、じぶんを放りこんだ六人をもろともに毒殺してしまったというわけなんです」
「お話は、よくわかりました。それで、その証拠は」
「あたしがここへ入ると、あなたと話をしながら飯台のほうばかり眺めていましたろう。いったい、なにをしていたと思います。ひい、ふう、みいと、盃の数ばかり数えていたんです。たぶんひょろ松からお聞きになったことでしょうが、昨夜、あたしととど助がここにいたんです。……あたしととど助と六平、それに中間どもが五人。〆めて盃が八ツでなければならないのに、ごらんの通り、ちゃんと九ツあります。あたしは如才なく加代姫に念をおして見ましたが、加代姫は、ここで酒など呑んでいないのです。してみると、あたしの推察どおり、加代姫が帰ったあとで、別なだれかがやって来た。それが、濠へ沈められた三枝数馬だというんです。……その証拠ですか? 実に、簡単なことなんです。……いちばん手近な盃の下に懐紙を四つに折って盃台にしてあるでしょう。懐紙の紙はご覧のように、薄紅梅を刷りこんだお小姓紙。懐紙で盃をうけることは小姓でなければしないことです。……嘘だと思ったら、あの盃を改めてごらんなさい。あの盃だけには毒がはいってないはずですから……」
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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