でそんなにあわてくさっているんだ」
ひょろ松は、顎十郎とむかいあって中腰になり、
「いや、どうも、近来にない大事《おおごと》がおっぱじまってしまって……。実は、藤堂和泉守さまの御息女の加代姫さまというのが、駕籠舁、中間こきまぜて束にして六人。まるで川へ毒流しでもするように、しごくあっさりと殺《や》ってしまったんです。……大名のお姫さまだけあってひどく思い切ったことをする。今朝からこれでえらい騒ぎになっているんです」
「なんで殺した」
「酒に番木鼈《マチン》という毒を入れて飲ませたんです」
「こりゃア、おどろいた」
顎十郎は、とど助と眼を見あわせ、
「とど助さん、世の中にはいろいろなことがありますな。それが事実としたら、実にどうも、際どいことでした」
さすがの、とど助も、息をついで、
「いや、まったく。あのまま意地きたなくいすわっていたら、鯰なみにポックリ浮きあがってしまうところでした。それも、あなたのお蔭」
「お蔭なんていうことはありません。あの姫さまが毒を盛るだろうなどと、いくらあたしでもそこまでは察しない。あたしは、元来、ああいうお姫さま面が嫌いでね、それで、まア、恐れて逃げだしたようなわけだったんですが、こりゃとんだ生命《いのち》びろいをしました」
二人の話を聞いていたひょろ松が、怪訝な顔で、
「なにか耳よりな科白《せりふ》がまじるようですが、そりゃア、いったい、なんのお話です」
顎十郎は、恍けた顔で、
「実はな、ひょろ松、われわれ二人もあぶなく毒流しにかかりかけた組なんだ」
ひょろ松は、おどろいて、
「えッ、すると……」
「ああ、そうなんだ。あの六人とひっつるんで大騒ぎをやらかしているところへ人間を氷漬けにしたような凄味なのが入って来たんで、せっかくの酒がさめると思って、泡をくって逃げ出したんだ。……それはそうと、あの居酒屋へ加代姫が出むいて来たことがどうしてわかった」
「中間の芳太郎というのがこれが息の長いやつで、しゃっくりをしながら朝まで生残っていて、虫の鳴くような声で、大凡《おおよそ》のありようを喋ったんです」
「ふむ、芳太郎はまだ生きてるのか」
「南番所《みなみ》の出役があると、間もなく息を引きとりました」
「馬鹿な念を押すようだが、すると、亭主の六平ぐるみ、あの六人はひとりも助からなかったんだな」
「残らず死んでしまいました」
「なるほ
前へ
次へ
全16ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング