われる毛抜の音、阿弥陀の六蔵、駿河の為と、この三人はもちろん、船頭に化けて水馴棹《みなれざお》をつかっていた一味十二人、そのままそっくりこっちの網に入りました」
「そんならなんでこんな騒ぎをする」
「いけないことには、伏鐘重三郎が茅場町あたりで上ってしまったんです。足どりを辿ると、そこから八丁堀まで歩いて行って、八丁堀の船清という船宿から猪牙《ちょき》に乗って浜松町一丁目まで行き、佐土原屋という木綿問屋へ入ったということがわかった。それっというンで佐土原屋を押しつつむと、こっちの焦りかたもいけなかったんですが、引っかかったのは店にすわって金巾《かなきん》をいじくっていたほんの下ッ端の五六人。伏鐘と頭株の十二三人は二階から物干に出てチリチリバラバラに逃げてしまいました。これがちょうど四ツころの騒ぎで。……しかし、こっちもひろく手を配ってあるンだし、あそこから田町へかけては堀と橋ばかりのようなところだから、縮めて行ってとうとう芝浦まで追いつめたンです。……月のいい夜だから、あの原っぱへ追いこんだら、もうこっちのもんだと多寡をくくったのがいけなかった。夏草のあいだを走りぬけて行く姿はたしかに見たンですが、さて、海岸までつめて行って見ると影も形もない。小船で逃げたようすもないから、ひょっとすると、海でも泳いでどっかへあがったにちがいないというンで、それで、こうして大捕物をやっているンです」

   大評判《おおひょうばん》

 両国の見世物へ黒鯨《くろくじら》が来た。
 頭から尾までの長さが六間半。胴の周囲が太いところは大人の五ツかかえ。これが江戸のまンなかで絵にあるように潮を噴き、鯨ちゃんや、と言うと、あい、あい、と返事をするという。
 江戸へ鯨が来たのはこれが最初。
 いわんや、生きた実物が泳ぐところを、大人は百文、子供は五十文で見せるという。
「両国へ黒鯨がきたそうでございますな。もうお出かけになりましたか」
「おい、松|兄哥《あにい》、垢離場《こりば》の高物小屋へ仙台の金華山《きんかざん》から鯨が泳ぎついたそうだ」
「お花さん、鯨が見世物に出てるそうですよ。なんでも鯨の赤ちゃんを抱いておっ乳《ぱい》を飲ませるンだって」
「ご隠居さん、絵では見ましたが、正眼《まさめ》に生きて泳ぐところを江戸のまンなかで見られようとは思っていませんでしたよ。年寄は年寄づれ、ひとつ出かけて見ますかな」
「先生、両国で鯨が泳いでいるそうでごわす。見聞をひろめるは武士の嗜《たしな》みのうちでごわすによって、どうか、お供を仰せつけくださりまっせ」
 髪床《かみどこ》、銭湯《せんとう》、碁会所、料理屋、人がふたり寄れば鯨の話。江戸じゅうがこの評判で湧きかえる。われも行けかれも行けと、江戸八百八町がこぞってどっと両国へ押しだす。まるで本門寺のお会式《えしき》のような有様。
 高物師の深草《ふかくさ》六兵衛。浅草の奥山で生れて奥山育ち、まだ歳は若いが才走った胆《きも》の太い男。日本じゅうを草鞋がけで走りまわって、いつもどえらい物をかつぎこんで来る。安政二年には長崎から大錦蛇を、三年の夏には駱駝《らくだ》と麒麟《きりん》を持って来た。六兵衛が小屋をかけると、因果物などはばったり客足がとだえてしまうので、又の名を八丁泣かせの六兵衛ともいう。
 この六月、金華山へあがった流鯨《ながれくじら》にポンと投げだした五百両。
 建てあがり十間の小屋掛をし、鯨が潮を噴いている三間半の大看板をあげる。鼠木戸《ねずみきど》を二カ所につくって三方に桟敷をしつらえ、まンなかの空地へ鯨をころがしてこれを鯨幕で四方からかこい、いよいよ客がつまると一挙にぱッと幕を取りのけ、黒天鵞絨《くろびろうど》に金糸《きんし》銀糸《ぎんし》で鯨波《げいは》を刺繍した裃《かみしも》を着た美しい女の口上つかいが鯨の背に乗って口上をのべる。それがおわると、鳴海絞《なるみしぼ》りの着物に、表黒白裏の鯨帯をしめた女の踊子が十人ばかり出て来て、
※[#歌記号、1−3−28]白いと黒と巻きついたら、鯨帯みるようでしまりがよかろ、セッセセッセ。
 と、鯨節にあわせて踊る。これでおしまい。
 なにもかも鯨づくめのところがご愛嬌。
 鯨はただ白い砂の上にごろんとねっころがっているばかり。潮を噴くわけでもなければ、尾鰭を動かすわけでもない。強いて申そうなら、ちと生臭い。これが張子細工でない証拠。客は百文はらって満足して帰る。
「あなた、両国の黒鯨をごらんになりましたか」
「いいえ、まだでございます。行こう行こうと思っていながら、つい……」
「まア、ぜひ行ってごらんなさい。大したもンですぜ。あなた、鯨が潮を噴きます。あれを見ないじゃ、江戸っ子の名折れになる」
 鯨ではないが、尾に鰭がついて、いよいよ以てたいへんな評判。
 口あけの初日は、それでも、どうにか納まりをつけたが、二日目は小屋のある垢離場から両国の広場にかけて身動きも出来ぬような混雑。
 小屋では鼠木戸の前に竹矢来をゆいまわし、鼠木戸の上の櫓《やぐら》には鳶の者と医者が詰めきっていて怪我人が出来ると、鳶口《とびぐち》で櫓へつるしあげて応急の手当をするという騒ぎ。
 小屋の中は外とおとらぬ混雑、三方の桟敷に爪を立たぬほどに鮨押しになった見物が汗を流して幕のとれるのを待っている。四方八方から押されるので汗を拭くことも頸をまわすことも出来ない。顔のむいたほうへ眼玉をすえ、平ったくなって立っている。眼玉も動かせぬというはこのへんの混雑をいうのであるべし。
 気が遠くなるような思いで待っているうちに楽屋のほうで波音を聞かせる。大波小波、狂瀾怒濤。小豆をつかって無闇に波の音を立てるもんだから、見物の一同は船酔いするような妙な気持になる。
 しょうしょう吐気《はきけ》が来かかったころに、ボーボーと鯨船で吹く竹法螺の音が聞え、それがきっかけで、白黒だんだらの鯨幕がさッと取りはらわれる。
 鯨には嘘はない。
 まるで五百石船ほどもあろうと思われる黒いのっぺらぼうなやつがごろんと転がっているから、見物は夢中になって口々いっせいに、うわアと感嘆の叫び声をあげる。その声で小屋も揺らぐかと思うばかり。
 鯨の背中には、先刻のべたような服装の縹緻《きりょう》よしの女口上つかいが桃割にさした簪のビラビラを振りながら、いい声で鯨の口上。
「東西《とうざい》、さて、このたびご覧に供しまする黒鯨。藍絵、錦絵、三枚つづき絵にて御覧のかたはありましょうが、生きた鯨が江戸に持ちこされたはこれが最初。当地は日本四十五州の要所《かなめどころ》。将軍さまのお膝元とて、名だたる見世物も数あるなかに、これこそは真の眼学問《めがくもん》。見ぬは恥、見るは一生の宝。孫子の代までの語り草、つくづくとお眼にとめごろうじませ。頭より尾までの長さは六間半と一尺二寸。胴のまわりは二十六尺六寸、重さは測《はか》って千五百貫。これを譬《たと》えに引きますなら、天王寺の釣鐘の三つ分にあたる。……さて、これより鯨の潮ふきをご覧に入れまするが、まずお聞きくださりませ、この鯨についての哀れな物語。心なき海鯨にもこの愛情。子の愛に惹かされるのは人間ばかりのことではない。焼野《やけの》の雉子《きぎす》、夜《よる》の鶴、錆田《さびた》の雀は子をかばう。いわんや、鯨は魚の長。愛情の深さはまたなかなか。……さて、皆々さま、これなるは、突《つき》鯨の寄《より》鯨の流《ながれ》鯨のとそんな有りふれた鯨ではござりませぬ。奥州は仙台金華山港町というところに住む漁師の茂松という方、去る月の十二日に沖に漁にまいりましたところ、波のあいだになにやら黝《くろ》いものが見えますゆえ、なんであろうと舷を寄せ、仔細にこれを眺めますれば、それは生れたばかりの鯨の子。珍らしきものよと拾いとり、さて、船を返そうといたしますれば、たちまち後のかたにあがる鯨の潮。母なる鯨が浮かびあがり、小さなる眼に涙を泛かべ、その子返してと追うて来る。茂松どのは哀れをもよおし、いったんは返そうと思いましたなれど、長々つづく浦の不漁。鯨一頭しとめれば七浦七崎《ななうらななさき》にぎおうの譬え。心を鬼にして船をば急がせますならば、母なる鯨は舷に添い、己が身の危うさも忘れどこまでもどこまでもついて来る。そのうちに船は港に入り、よもやと思うて見かえるなれば母なる鯨はもう半狂乱。漁船とともに腹を砂浜にのしあげ、子を返して賜わらぬならば、いっそひと思いにこの身も殺してくれといわんばかり、折よく通りかかりました当小屋の六兵衛どの、哀れと思い買いとりて母子もろとも江戸へ連れかえり、かくはご高覧に供しまする次第。まずは右のため口上。東西。……いよいよこれより鯨の潮ふき、母鯨が添乳《そえち》のさま、つぶさにご覧に入れますところなれど、しょせん田舎生れの鯨ゆえ、江戸の繁華に胆をつぶし、ただもうぐったりしているばかり。それはまた改めてお越しの日にゆずり、ご座興までに鯨のひと声、鯨と言えば、あいよ、と答える。さあ太夫さん、しっかりお頼み申しますよ」
 と、扇子で鯨の頭を突きながら、
「……鯨ちゃんや」
 と、声をかけると、よっぽど遠いところで、あいよ、と答える。
 口上つかいが静々と鯨の背中からおりて行くと、さっき言ったように鯨節の総踊り。これで、おあとと入替え。
 ところで、この鯨が一夜のうちに紛失してしまった。

   鯨の昇天

 深草六兵衛の小屋では、その夜は当祝《あたりいわい》。
 追出しをすましてから、櫓主《やぐらぬし》、若太夫《わかたゆう》、帳元《ちょうもと》、奥役《おくやく》、道具方一統から踊子、口上役、ぜんぶ櫓裏の二階へあつまって飲めよ唄えよの大騒ぎ、これが八ツ(午前二時)から始まった。
 若太夫が祝儀をのべて一同手をしめ、櫓主の六兵衛が小屋方一同に酌をしてまわる。当祝の儀式がすむと、引きぬきになって大兜《おおかぶと》。お手のものの三味線、太鼓、陣鉦を持ちだし、これに波音まで入って無闇な騒ぎになる。
 七ツ近くに小屋師の勘八というのがよろける足で不浄へおりて行った。
 桟敷の上をつたいながら、月あかりでぼんやり仄明るくなっている飾場のほうを眺めると鯨がしょんぼりと寝ころんでいる。
「やア、寝っころがっていやがるな」
 で、そのまま用を達してまた二階へあがった。
 それから、ちょっと間をおいて、下座三味線をひくお秀という娘が不浄へおりて行った。このときもたしかに鯨はいたのである。それから、またちょっと間をおいて、こんどは木戸番のよだ六がおりて行った。だがこのときはもう鯨はなかった。
 不浄からの帰途、桟敷の嶺《みね》をつたいながらなにげなくヒョイと飾場のほうを見ると、どうしたというのか、鯨は影も形もない。白い砂があるばかり。
 夢を見ているのだと思った。トロンとした眼をひっこすって息をつめて、つくづくともう一度見なおしたが、酔っているのでも夢を見ているのでもなかった。なんど見なおしても鯨はいないのである。
 げッ、と驚いて、足もともしどろもどろ。息も絶えだえに丸太梯子をよろけあがって三階のあがり口へ首だけ出すと、
「親方、たいへんだ。鯨が……」
 馬鹿にするねえ、で、誰ひとり本当にしない。
 冗談なんか言っているセキはありゃしない、嘘だと思うなら行って見なせえ、たしかに鯨はいなくなっているンです。やい、よだ六、かついだら承知しねえぞ、半信半疑で六兵衛が先に立ち、一同金魚のうんこのようにつながって、ゾロゾロと飾場までおりて来て見ると……
 鯨がいない。
 一同、あッ、と言って腰をぬかした。
 それにしても、誰がなんの必要があって鯨などを盗んで行ったのだろう。それはまアいいとして、秀の後でよだ六が不浄へおりたのは、その間、時間で言えば、ほんの十分。その短い間に六間半もある鯨をどんな方法で持って行ったのだろう。
 小屋の掘立柱《ほったてばしら》は三尺おき、それに竹矢来を組んで蓆《むしろ》を張りつけてある。六兵衛が鯨を小屋に入れるとき、前側と左右だけ丸太を組み、後をあけておいてそこから鯨を運び入れてか
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