る》の鶴、錆田《さびた》の雀は子をかばう。いわんや、鯨は魚の長。愛情の深さはまたなかなか。……さて、皆々さま、これなるは、突《つき》鯨の寄《より》鯨の流《ながれ》鯨のとそんな有りふれた鯨ではござりませぬ。奥州は仙台金華山港町というところに住む漁師の茂松という方、去る月の十二日に沖に漁にまいりましたところ、波のあいだになにやら黝《くろ》いものが見えますゆえ、なんであろうと舷を寄せ、仔細にこれを眺めますれば、それは生れたばかりの鯨の子。珍らしきものよと拾いとり、さて、船を返そうといたしますれば、たちまち後のかたにあがる鯨の潮。母なる鯨が浮かびあがり、小さなる眼に涙を泛かべ、その子返してと追うて来る。茂松どのは哀れをもよおし、いったんは返そうと思いましたなれど、長々つづく浦の不漁。鯨一頭しとめれば七浦七崎《ななうらななさき》にぎおうの譬え。心を鬼にして船をば急がせますならば、母なる鯨は舷に添い、己が身の危うさも忘れどこまでもどこまでもついて来る。そのうちに船は港に入り、よもやと思うて見かえるなれば母なる鯨はもう半狂乱。漁船とともに腹を砂浜にのしあげ、子を返して賜わらぬならば、いっそひと思いに
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