せえ。言うことがあったら番屋で聴こう。まだ続きがあるんだから邪魔をしちゃいけない。……最後に、京屋へ火をつけたのはお前さんだというのは、どういうすじかと言うと、これには二つの証拠がある。だいいちは、この印籠の下げ緒についている藍。これはお前さんが染場の藍甕のそばでしゃがんでいたという証拠なンだ。訊けば、お前さンが京屋へ出かけて行ったのは昨夜が始めてだそうだが、吉兵衛と話をするのに、なにをそんなところまで這いこむことはいらなかろう。湿ってこそいないが、この藍の色はつい昨日きょう染まったもの。お前さんも知っていなさろうが、藍甕は地面から五寸出るぐらいにして深くいけてあるもんだが、印籠の下げ緒が小半分染まっているところを見ただけでお前さんが藍甕のそばでどんなようすをしていたか、はっきりとわかるんだ。落したもんなら下げ緒ぜんたいがスッポリと染まる。しゃがんだはずみに腰に下げた印籠が半分ばかり藍甕の藍に浸《つ》かったのをお前さんは気がつかなかった。もうひとつの証拠というのは火繩と火口。……お前さんの網道具の小函の抽斗《ひきだし》に火繩の屑と火口が入っていた。これなんざア、まず、のっぴきならねえ証拠というほかない」
 十吉と孫太郎が左右から藤五郎の手をとって、
「おい、大清、一緒に番屋まで来てくれ」
 グイと引立てた。

   十五日

 駕籠屋さん。もとは江戸一の捕物の名人。冬瓜《とうがん》のお化け、顎十郎こと仙波阿古十郎。
 息杖によりかかってひょろ松の話を聴いていたが、ひと切がつくと、眉をしかめて、
「おい、ひょろ松、そいつはいけねえなア。ひょっとすると、そりゃア藤五郎がやったんじゃねえぜ」
 と言って、相棒のとど助のほうへ振りかえり、
「ねえ、とど助さん、チト妙な節があるじゃありませんか。恨むすじは吉兵衛のほうにあるが、藤五郎のほうにはない。そうまでおとなしくしているものを、おもんが吉兵衛とどうのこうのぐらいのことで、殺して家へ火をつけるなんてことをするものでしょうか」
 とど助はうなずいて、
「手前もさっきから訝《いぶか》しく思っていたのでごわす。なんとしてもその点が腑に落ちません」
「そうですよ、殺すにしろ火をつけるにしろ、もっと手軽な方法がいくらでもある。わざわざ難儀して手のかかることばかりやっているとしか思われてならない。つまりね、なんとなく不自由で、不必要に企みすぎたというような気がしませんか」
「します、します。……それに、どんな方法でやったところが、京屋と『大清』がそんな関係であって見れば、かならず藤五郎に疑いがかかる。これは逃れっこがないんだから、ちょっと悧巧な男なら、これはけっして殺《や》りません」
「そうですとも、殺らないほうが本当なんです」
 ひょろ松は、たまりかねたように割って入って、
「ですから、甲府でなにか悪いことをしたそのしっぽを吉兵衛が……」
 顎十郎は笑いだして、
「大清が京屋のとなりへ移って来たのは昨日や今日じゃあるまい。どんなしっぽをつかまれたか知らないが、いつ言い出されるかわからないのに便々と二年も放っておくわけがない。どうでも殺さなければならないのなら、もっと以前にやっているはずだ。また、吉兵衛のほうにしたってそれだけの弱味を握ってるなら、おもんを引きあげられたときに口惜しまぎれにひと言ぐらい喋らなければならねえ場合だ。俺の考えるところでは、そりゃアたぶん吉兵衛が出鱈目だな。……俺にすりゃア、そんなことより吉兵衛の寺通いのほうが気にかかる。墓いじりばかりしていたなンていうのは、自分の死ぬ日が近くなったのを知ったためではなかったろうか。……おい、ひょろ松、お前、吉兵衛の菩提寺というのへ行って見たのか。どんなことをしていやがったのか洗って来たのか」
 ひょろ松は、額へ手をやって、
「どうも、そこまでは……」
「それをやらなきゃ話にならねえ。……吉兵衛の菩提寺というのは、いったいどこだ」
「浅草|御蔵前《おくらまえ》の長延寺《ちょうえんじ》だということです」
「そんならわけはねえ。ここからひと跨《また》ぎだ。これからすぐ行って見よう。さあ、乗んねえ、乗んねえ、かついで行ってやる」
 嫌がるひょろ松を駕籠へのせ、ホイホイという間もなく長延寺。
 住持にあってようすを訊くと、
「いつもひどく沈んだようすをしていて、墓石を洗いながらブツブツひとりごとを言ったり、墓にもたれてぼんやり考えこんでいたりするので、わたくしも気にしていたンですが、このあいだ来たときなどは、永代経をたのみますと言って二十両つつんで来ました」
 顎十郎は、妙な顔をして、
「永代経というのは自分が江戸を離れて生涯帰ってこられねえとか、死目が近くなって、それに跡目がいねえなどというときに、忌日々々に先祖の供養をしてもらうことなんだが、
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