相。
 とど助のほうは、これはどう見たって浪人くずれ。それも、なみの武士じゃない。いわば、出来そくない。
 身の丈五尺九寸もある大入道《おおにゅうどう》の大眼玉《おおめだま》。容貌いたって魁偉《かいい》で、ちょうど水滸伝《すいこでん》の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵《さしえ》にある花和尚魯智深《かおしょうろちしん》のような面がまえ。
 それだけならまだいいが、アコ長のほうはせいぜい五尺五六寸の中背だから、このふたりが差しにないということになると、駕籠はいきおい斜め宙吊りとあいなり、客はツンのめったままで行くか、あおのけになって揺られるか、いずれにしても、普通には行かない。これじゃ、だれだって恐れをなして逃げ出してしまう。
 アコ長は、水ッ鼻をすすりながら、マジマジととど助の顔を眺めていたが、いまいましそうに舌打ちをして、
「……思うにですな、とど助さん、今日のあぶれは、こりゃアあんたのせいなんですぜ」
「これは聞きずてならん。なんでわしのせいか」
「だって、そうじゃありませんか。わたしとあんたがこの商売をはじめる当初から、あんたは客呼びをしない約束になっていたはずです」
「そうだったのう」
「そうだったのう、じゃありませんよ。あんたのような、見あげるような入道が、大眼玉をむいて、おいこらア、駕籠にのれ、安くまいるぞ、じゃ、だれだって逃げ出してしまいます」
 とど助は、額に手をやり、
「それを言われると、わしもつらい。あんたとの約束は忘れたわけじゃなかったが、なにしろ寒くもあり、空ッ風に吹きさらされてぼんやり立っているのは、いかにも無聊。……腹立ちまぎれに大きな声を出しとったんじゃい」
「いけませんよ、とど助さん。空ッ腹の鬱憤《うっぷん》ばらしにあんな恐い声を出しちゃ、とても商売にはなりません、やめてもらいましょう」
「いかにも、わしが悪かった。もうよす、よす。……よすはよすが、これから、どうする。参詣のひとも、もうちらほらになったから、いつまでもこんなところで客待ちしておっても、立ちゆかんと思うが」
「麻布六本木の京極の下屋敷の金比羅様もなかなか繁昌するそうだから、そっちへ廻ってみましょうか」
「やむを得んな。なんとかして、ひとつでも兜首《かぶとくび》をあげんことには、行きだおれが出来る」
「じゃ、まあ元気を出して、行くとしましょうか」
「ああ、まいろう」

   どじょう鯰《なまず》

 六本木の多度津《たどつ》京極の屋敷の門前で、またひと刻。
 とっぷりと暮れて六ツ半ともなれば、参詣の人影も絶え、ついで、屋敷の大扉はとざされてしまったので、あたりはひっそり閑《かん》。
 このへんは寺や屋敷だけの町で、黒門に出格子窓。暮れると人通りもない場所で、聞えるものは空ッ風と犬の遠吠えばかり。
 アコ長は、凍えた手を提灯の火にかざしながら、
「とど助さん、どうも、いけないことになりました。愚痴を言ったって始まらない、こんな日はケチがついているんだから、きょうは諦《あきら》めて、このまま戻ることにしましょう」
 とど助は、むむ、と腕を組んだ。
「いよいよいけないとなれば、わしも愚痴は言わんが、家へもどっても夕食をする当のないのは弱った」
「それが、愚痴というもんですよ」
「こういう霜腹気《しもばらけ》の日に、泥鰌《どじょう》の丸煮《まるに》かなんかで、熱燗をキュッとひっかけたら、さぞ美味《びみ》なことであろう」
「贅沢をいっちゃいけませんよ。こんなときに食いもんの話をするのは殺生ですよ」
「背に腹はかえられんな」
「なにを言ってるんです。背に腹どころじゃない、わたしなんざ、腹の皮が背中にくっつきそうだ」
「であるからして、思い切ってやろう」
「急に血相を変えて、なにをやるというんです。辻斬《つじぎり》なんぞ、いやですぜ」
「いかに渇しても、辻斬なんぞはせん。一杯飲もう」
「銭がなくて、どうして酒が飲めるもんですか」
「そのくらいのことは、わしも存じておるが、法をもってすれば、飲めんことはない。後はわしが引きうけたから、我善坊《がぜんぼう》の泥鰌屋へ行こう」
「でも、あのへんは伊勢|駕《かご》の繩張だから、下手なことをすると、ぶったたかれますぜ」
「なあに、かまわん、かまわん。わしがうまい工合にやる。心配せんとついて来まっせ」
 空駕籠をかついで仲町《なかまち》から飯倉片町《いいぐらかたまち》のほうへやって来ると、おかめ団子《だんご》のすじかいに、紺暖簾《こんのれん》に『どぜう汁』と白抜にした、名代の泥鰌屋。駕籠舁、中間、陸尺などが大勢に寄って来てたいへんに繁昌する。
 泥鰌鍋のほかに駕籠宿もやっているので、奥まった半座敷には、駕籠舁の若い者がいつも十人二十人とごろっちゃらしている。
 軒下へ駕
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