いい月ですね」
「ああ、いい月だな。腹鼓でも打たんかい」
「あれは秋のものですよ。こう寒くちゃ、とてもいけません、腹が冷えますから」
葛西囃子《かさいばやし》
狸穴坂の欅の樹の下で待っていると、毎晩ひとりずつチョロリと暗闇から出て来る。
「たぬきか?」
「はい、たぬきです」
「さア、乗れ」
「連れて行ってくださいまし」
堅気なふうなのもあり、武士もあり、また衣《ころも》をつけてくるのもある。いずれもひと癖あり気な、眼のキョロリとしたやつばかり、人間ならば、人相が悪いというところ。しかし、狸なんだからとがめ立てをしたってしょうがない。
護国寺のわきを入って豊島ガ岡、奥深い森につづいた茫々の草原の入口で駕籠をおろすと、狸め、びっくりしたような顔で、
「おや、こんなところなんでございますか」
と、恍けたことをいう。
「これが約束の場所だ」
「へい、そうですか。では、ここで降りましょう」
すると、原っぱの奥で、きまって、ポンポンとかすかな鼓の音がきこえる。腹の丈夫な狸がいてここだという合図の腹鼓をうつのらしい。
その音をきくと、狸は、嬉しそうな顔をして、
「ああ、あそこらしゅうございます。わたしを呼んでおります。ありがとうございました。では、さようなら」
「気をつけておいでなさい」
狸は、お辞儀をして、ひょろりと草原の中へ入りこむと、すぐ姿が見えなくなってしまう。
これで二両。
偽金じゃない。それも性のいい乾字小判。
二人とも、すっかり大有卦に入って、こいつアいいや、で、毎晩せっせと狸を送りとどける。
その、七日目の晩。
例の通り、欅の下に駕籠をおいて待っていると、
「ちょいと、駕籠屋さん」
と、仇っぽい声がする。
アコ長、眼を見はって、
「ねえ、とど助さん。今夜は、ご婦人のようですぜ」
「そうらしいの。どんなふうに化けてくるか、楽しみだの」
熊笹を、カサコソと踏みわけながら闇の中から出て来たのは、二十四五の、それこそ、水の垂れるような器量《きりょう》よし。
島田に銀元結《ぎんもっとい》をかけ、薄紅梅《うすこうばい》の振袖を腕のところで引きあわせるようにして、しんなりと立っている。
痩せぎすの、すらっとしたいいようすで、眼だけは例によってちと大きいが、女となるとこれがかえって艶をます。睫毛が長くて眼の中がしっとりと濡れ、色がぬける
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