んなことはともかく、ま、おひとつ。……こんな出雲舞のお酌ではどうせお気に入りますまいけど……」
 と、ひどく色気のある眼つきで斜《しゃ》に顎十郎の顔を見あげる。顎十郎は恐悦しながら盃を取りあげ、
「金蔵の番人には、チト行きすぎたお款待《かんたい》。生れつき遠慮ッ気のないほうだから、会釈なしにやっつけますが、美禄《びろく》に美人に美肴《びこう》と、こう三拍子そろったんじゃ、いかに臆面のない手前でも顔まけをいたします。……おっとっと、散ります、散ります」
 大有頂天の大はしゃぎ。太平楽をならべながら頻《しき》りに注《つ》がせる。
 ところでこの小波、注ぎっぷりもいいが、受けっぷりもいい。どうぞ、ほんの少し、と言いながらいくつでも受ける。ひどく調子がいいもんだから、いきおい弾みがついて、だいぶ陽気な光景になる。下町からあがった腰元とみえ、酔うにつれて、小さな声で小唄なんか歌う。ところで、顎十郎のほうも、もとをただせばそうとうな道楽者なんだから、すっかりウマが合う。引きぬきになって、
「それ、ご返盃ッ」
「ちょうだいしますわ」
 てなわけで、差しつおさえつやっていたが、そのうちに小波が、ちょっ
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